2006年06月

ガゼン
ぷすぷす燃えてるっつうの!
ぶすぶす燃やすっつうの!

たまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇたまんねぇええええっ!!!!!!!!

カウントダウン2

楽しモーゼ!!

鉄平
(2006年 6月 28日 [水曜日])

ぶすらだてらぶんぼん
全く意味のない音を声にだして叫んで帰った午前2時、近所迷惑だぜ、俺。
いやがうえに燃え上がるハラペーニョ。
まるでパラフィン。
どろどろに溶ける白い蝋、ばりばり貪り食う無地の生地。

さようならと言ってギターを弾きまくる。

何?

よくわからんが、わからないってことはとにかく熱狂しているんだぜ。

うおっしゃあ、
カウントダウン4!

ぶすらだてらぶんぼ〜ん!!

鉄平
(2006年 6月 26日 [月曜日])

産気づいて初夏
ただそこに在るもの、もしくは存在すらしないもの、それが常に俺らの胸の大半を占めているのだとしたら何かしたいと思うことは存在からすれば罪になる。
許されるのは、エゴが理屈を突き破ってしまう奇蹟の瞬間。
それ以外にありえない。
興奮する。
その瞬間のために息をしてる。

何かしたいと思えるこの時間が幸せなんだろう。

ミリオンダラーホテルの屋上から地球を突き破る。


ただそこに在るものを、感じるためにエゴはあるのだろうか。
そのために息するのだろうか。


答えは知らなくていいや。
わからんくていいや。
俺らにはあいかわらずエナジーが溢れてる。
これもただ溢れてるのかしらんが存在しようがしまいが溢れてるのを感じようとするエゴが心臓から送られる血液のように息することを煽動している。

この瞬間すらハッピー。
日々、沸点が高くなっていってる。
産気づいて初夏。

とにかく、あっちーやつを演ります。


カウントダウン9

鉄平
(2006年 6月 21日 [水曜日])

試合前
新日本プロレスの棚橋選手から連絡きた。
バズラの「音楽」を試合前に聴いてくれているんだって。
「運命」が響いたって…。
すげー嬉しいな。

闘う男の背中は格好良い、と、俺。

どんな巨漢にもジャーマンスープレックスをかける男「棚橋」の背中は美しい…と、棚橋選手を語る男の眼差しも輝いていた。



俺らを衝き動かすのはなんだろう。
憧れ、羨望、怒り、嫉妬、色々あるかもしんないけど、きっと愛だぜ、俺のばあい。

音楽は、愛だ。
愛は気持ち良い太陽だ。
好奇心という名の愛のもとに、散らばる宇宙。

俺らのエナジーの爆発最終形態は音楽オーガズムの流星群。
解脱も離陸も必要としない、トんじゃってる世界が音楽。

棚橋選手もプロレスでトんじゃってる世界にイクんだろうな。

さあ、今生の旋律を、今月の末、三十日に鳴らそうか。


きっと
おまえらと
鳴らそうぜ!

音楽しよう!!

カウントダウン12

鉄平
2006年 6月 18日 [日曜日]

魂のアイスクリイム

詩人中原中也が、十代中頃に「文学に耽りて落第」したのは有名な話。

俺は十代中頃、年表でこの事実を知ったときに「ぐわぐわわっ非常に格好いっ!」と興奮したんだった。

小学校二〜四年生の頃に早くも`お馬鹿さん´のレッテルを担任の先生に貼られてしまい(母親に聞いた当時の担任の先生の台詞は、「お宅の息子さんは`ど〜うしようもない´」だった)、以来、なんとなく空気を察する敏感な肌をもちあわせていたため、勉強に…いや、むしろ先生や教育、学校に強固な劣等感を抱いてた、幼い頃の、俺。
(転校を重ねていた時期で、環境に馴染むので精一杯だったと言い訳もできるけど、教科書をきちんと開いたことがないのも事実。)
そんな気持ちが自分の中にあるのが気持ち悪くて、一念発起、脳が勃起するまで勉強しようと誓ったのが、小学校五年生の春。
中学受験ブームの最中。
テレビでもそんなこと盛んに煽ってたし、バブルがはじける前のなんかみんながギラギラテカテカしてた時代だ。
「勉強したい」と話したら両親も喜んでくれたし、少なくとも間違ったことをしてる感じはしなかったな。つうか、正義の味方っぽいイメージがあったな。なんだかくだらないけど。
今、思えば、コンプレックスによる知識欲、自己顕示欲の狂い咲きかしらん。

哀願して通わせてもらった塾に通い、家でも机に向かい、ひたすら自分の中に知識をとりこもうとした時期が確かにあった。
その時に初めて、知らないことがあまりに沢山あることを知ったよ。
愕然としながら、とりくむのは、国語算数理科社会。
自分がどうやって勉強したらいいのかも分からなかったし、宿題や与えられたドリルをこなすのに必死だった。
俺にとっての勉強は、二十歳過ぎてやったベルトコンベアーの倉庫の作業と同じかな、そんときはそんな風に感じるほどの余裕もなかったけど。
それから…中学の二年生まで異常に昂じた『勉強』への意識は続く。
ずんどん感じていったこと、分かってきたことで覚えてるのは、競争意識は面にだすほど強くない自分つうのと、徐々に薄れる劣等感に果たして当初の目的はなんだったかを忘れる不安感。

中学生のはじめの頃は函館にいたのだけど、五稜郭のすぐ近く杉並町というところに住んでいて、たまたま国語の時間に読んだ中原中也の詩が異様な戦慄でもって…なんつうか、迫ってきたので図書室で調べたら詩集は三年くらい貸し出されたままになってた。
(借りたままの奴に殺意をおぼえたぜ。かえせ〜!と呪った。
ついでに、借りたものはなるべく返そうと心に誓ったな。
この誓いは、今、ときに守り、ときに破っている、ゆるい戒律になってる。)
居ても立ってもいられなくて、学校を早退。
帰り道に電車通りの女子高の並びの行きつけの本屋で中原中也を探す。
詩集はやっぱりなくて、気になって仕方ない。
参考文献のような本を見つけたけど「ダダイスムに影響され」だの「観念的なものをそぎ落とし」だの、肝心の詩がねぇ〜。
注釈が多過ぎるし、なにより古本のくせに高いので黙殺。
それから、約一年。忘れてた頃に突然、札幌の生協の中にある本屋で発見!
俺、十四に成長。
札幌に越してきてばかりの春。
文庫なのに千円とは…なんたるイクシペンシブ…。
買えないので立ち読みしたんだっけ。
ようやく見つけた嬉しさと、その詩の言葉群に感激しながら…ここで冒頭の感想に今一度戻ってみよう!(なげー)

ちょうど「勉強」に嫌気がさして、何か本当に夢中になれるものが欲しいと強く思っていた時だったので、この出会いは運命だぜ!くらい思ったなぁ。
嫌気がさして、というと違うか…これでいいのか?つう強迫観念にヤられてたつうのが正解。
まぁ、真綿でくびをしめられるような感じっつうの?
あるしょ?
そういう時。
俺はよくあるよ。
そんなときに出会ったから、中原中也はずんずん身体に入ってきた。

単純なんだわ。

自己顕示欲がどんどん強くなっていってたし、人と違うことがしたかった。
みんなが泣いているとき、爆笑していたかった。
教科書を入れてる鞄が憎たらしかった。
線を点で、点を線で感じたかった。
悪いものが美しくみえた。

そんな感覚が芽生えた俺に、中原中也は強烈に響いたの。

投げやりな感じとかさ。
毎日、普通に生きることの気怠さとかさ。
俺の頭ん中で中原中也は生と死を浮遊してるようで、とにかく格好良かったんだよ。

詩が、照れ臭い、内緒にしておきたいものから、なんか攻撃的なものに変わったのも、この時だ。
言葉と、その滲みでてくる人間像(象徴)に魂が殺されかけたよ。

それ以来、俺、昔風に言えば、徳を愛すぜって感じ。



今も近所を散歩しながら色んな場所で読んだりするけど、今日は始発の電車の中で読んでて、俺はやっぱり魂の労働者に心酔しているし、そうしなきゃ遺憾とする俺の魂に、しこりができてしまうなぁとか思ったので、ここに記しとかなきゃ、と。



町田康率いるミラクルヤングの「音楽に心が溶けて 労働が出来なかった〜」
つう、ひとふしを、
そういえば、しょうへいさんが、共鳴してたなぁ…つうのを思い出しながら、俺もきっと共鳴してて、窓越しの夜明けを眺めながら鼻歌を歌う今日の終わりの明日。


疲れてへとへとになりながら、音楽に埋もれる毎日。
知性も品もなんにもいらない。
詩を求めたように、
俺は、音楽を求めてるのだぜ、今。



前に萩原朔太郎の言葉に似てるって言ってくれた人がいたけどさ、その時はなんとなく流してしまってたけど、これを書きながら思い出して、なんだか嬉しくなったよ。
というのも、こないだ「竹」を読んで、共鳴したから。

でも、

俺は全然「竹」じゃないな、根が無ぇもの。

海にぶっすり刺さる「杭」かしらん。


では、

睡魔の波に流されて、
バタンQ。

鉄平
(2006年 6月 7日 [水曜日])

ハイエースナンバー
関西での三日間のライブを終えて、俺はハイエースの中で横になってるところ。
んで、
考え事?
つうより、感じ事。

音楽は生きることと直結してんだなぁ。
言葉じゃなくて、感じてた。

エンジン音を超えるいびきを、今日も鳴らすかしらん。
したっけ、みんなは嫌がるだろな。
ははっ。
自粛できないからね、それは…。
ごめんなさいねー、とか思いながら、音楽した三日間の感覚に埋もれるように眠るわ。


ライブについての、書き込みありがとう!
車中で読んだよ。
エネルギーになるよ。


では、高速を走るハイエースのエンジン音をかきけす、いびきのナンバーを歌いだそうか!?
つっても無意識下の、俺は知らない世界なんだけどさ。

バタンQ。

鉄平
2006年 6月 4日 [日曜日]

もどる
バックナンバーリスト
Powered by HL-imgdiary Ver.3.00