THE NEATBEATS × CLUB Que
CLUB Que 14周年記念特別企画 MR.PANこと真鍋崇邸に家宅捜索!










(1)、(2) まずは数えるのも嫌になるくらいのCDやLPの棚を過ぎると、(3) ギターケース発見。この辺1枚とか1本持って帰っても、気が付くのは20年後くらいだろう…。(4) そしてついに地下へ繋がる神秘の階段を発見! ニオウ! かなりワルのにおいがする! 高校生の頃にあこがれたあの感じ…。いや今回はあこがれている場合じゃない。捜査なのだ。しかしドキドキするぜ! (5) お~想像していたより、200%増しの優雅でビンテージで居心地の良い空間だ! (6) そしてついに発見したMr.PANはなんと白衣姿! 長身の男の白衣は妙に似合う。しかし感心している場合ではない。これだけの設備を作る為には、かなりのワル(ロール)をしなければ出来ないはず。彼のロックンロールライフ全てを暴露する為に事情聴取を決行!


Q:まず、生い立ちからなんだけど、真鍋くんの出身は?
Mr.PAN(以下PAN):出身は和歌山市。和歌山で高校時代を過ごして、1年くらいロンドンに行ってた。卒業してから1年予備校行って大学行こうと思ってて……。でも諦めて、そのままロンドンに行った。友達がロンドンに住んでたから遊びに行くつもりで行ったら、そのままずっとおってしまったみたいな(笑)。そのときに下宿した家が、インディーズレーベル(※1)の会社の2階で、そこで1年くらいバイトをしてた。

Q:帰国後は大阪に住んで、すぐバンド活動したの?
PAN:うん、バンドはまあちょっとはしてたけど、ロンドン行ってた時のバイト先のレーベルがロックンロールとかロカビリーとか、オールド・ミュージックのレーベルやったから。バンドよりもレーベルとかレコード屋に結構はまってたというか。

Q:へ~そうなんだあ。さかのぼって高校生のときは…?
PAN:中・高校生のときはパンク(※2)とか好きで(笑)。

Q:じゃあロンドンでの影響はかなり大きかったんだね。
PAN:そうやね。そこで50's(※3)ロカビリー(※4)だから。

Q:そしてバンドを大阪で始めた。……それはまだニートビーツじゃないんだっけ?
PAN:そのときは前のバンド、「The Death Dealers」(※5)っていうバンドで、「ザ・ベンチャーズ」「ザ・シャドウズ」みたいなノリのインストバンドをやってた。そういうのをしてると、「ジャッキー・アンド・ザ・セドリックス」が気になって、結構かぶってるかもな~と思って、ちょっと路線を変更しようと。イギリスのマージービート(※6)のバンドとかも友達だったから、日本にあまり無いバンドをしようかって。スタイリッシュにロックンロールを出来るバンドをやりたくて。それが、96~7年とか。3年くらい前のバンドやってたけど「ニートビーツやろうか」ってなったのが97年くらい。

Q:なるほど。そこまでで相当な経験してますね~。現在、真鍋崇としてやっている事を簡潔に教えて?
PAN:THE NEATBEATS。MAJESTIC SOUND RECORDS (※7)というレーベルをやって 大阪でOLD HAT RECORDS (※8)っていうやっていて、そしてスタジオ。

Q:ロックにまつわる4種類くらいの業務をこなしていると…スゴイ(笑)。97年にニートビーツが始まった時には、スタジオはないとしても、他のことはもうやってたの?
PAN:してたね。レコード屋は、イギリスにいた時にレコード屋さんとかそういう人らと知り合ったから、レコードは結構手に入るというか。その前に集めてたし。それが膨大な量になったので、売ろうかなっていう単純な発想で。

Q:すぐに店舗持ったの?
PAN:最初は通販でやってた。日本に帰ってきてすぐだから1995年。バンドより前。雑誌のDOLL (※9)とかに広告載せて、リスト送りますみたいな。ネット環境とかはまだなくて……ちょうど、インターネットっていうワードが出始める時期かな。Macの容量がめっちゃ小っちゃいとか、フロッピーディスク(※10)の時代(笑)。

Q:レコードや運営のノウハウはどうしたの? 暗中模索?
PAN:イギリスはメールオーダー(※11)文化が多くて。あとレコードフェア文化とか。日ごろ通販をしている人らが、月に一回レコードフェアをしていて、そういうのが商売として成り立ってて。日本はレコードフェアとかそういうのはなかったけど、「メールオーダーだけでも反応あるんかな?」って思ってDOLLとかに広告出してみると、結構反響があって。その時は商売でやろうという気がなくて自分のコレクションをただ売ろうと思ってたけど。意外と売れたから、このまま売っても良いかなみたいな(笑)。メールっても電子メールやないで。

Q:英語は?
PAN:最初は全然。けどひとつだけ決めた事があって、日本人の友達もおったけど、日本語喋ってしまうから、日本人とつるまないって決めて、なるべく外人の中で生活する。それをすると、喋らざるを得ないみたいな。

Q:さてその後ニートビーツ結成になる訳ですがその経緯を教えてください。
PAN:前のバンドをやってた時にメンバーが代わることになって。じゃあマージービートなバンドを演ろうかって。その頃は大阪でロックンロールとかロカビリーとかのイヴェントを主催をしてて。そこで、みんな知り合いになるやん。イヴェント行くために団体で歩いてるとき、「新しいバンド組もうかな~。誰か一緒にせえへん?」て言ったら、「僕ドラム出来ます」ってシンヤ(※12)が手あげた(笑)。トサ(※13)もおって……そのとき名前も知らんかったけどシンヤの幼馴染でイヴェントにもよく遊びにきていて、「僕、ギターもやってます」みたいな。ほな、やる?って。

Q:皆なんとなく楽器ができるけどバンド活動はしてなかったんだ。イベントをやっている真鍋崇をみんなが知ってたという感じ?
PAN:ん~別にロカビリーバンドをやってて、それをシンヤとかも見に来てた。次は、そういうのじゃなくて、こういうバンドするから、って。あいつら高校生だったかなあ。超ロカビリーだった。リーゼントして。そういうのが流行ってたね。

Q:その時のベーシストは、今のダイちゃん(※14)
PAN:いや。浜辺シゲキ君のベースのトネ君がやってた。トネ君は、アメリカ村で古着屋の店長してたから、みんな顔知ってて。トネ君には頼んでやってもらってたって感じやね。そんでたまたま、和歌山帰ったときにファミレスでダイちゃんと会って「今何してるの?」って聞いたら「大阪住んでる」って。俺も大阪おったから「じゃあやろうよ」って。そっから繋がったかな。本当にたまたま。


Q:すごいね、運命的な出会いだね。で、その後ダイちゃんが途中で抜けて、ミウラ君(※15)が弾いたりしてたけど、トサくんはずっといるんだよね。そして拠点を東京に移すわけだけど…。
PAN:そう 98、99年とかかな。東京初ライブは高円寺UFOクラブ。

Q:確かQueでのファーストライブはビバヤングだったよね? その頃のバンドを取り巻く環境は?
PAN:バンドをやってどうのこうのっていう意識は全くなくて、例えばメジャーとかは考えてなかった。

Q:そのときもレコード屋はやってた?
PAN:やってたし、バンドっていうのは趣味でやるみたいな。レコード屋がメインだった。曲もカバーが多くて、あんまりオリジナルもなかったし。

Q:Queでの最初(※16)は劇的に印象的なライブだったんだよね。お客さん少なくて、普通は皆前に来てくれよって言うところを「そこにいてええから、俺たちが前に行くわ」って(笑)。マイクスタンドも降ろして、これぎゅうぎゅう感ある~って。シンヤがひとりステージ残って。めちゃめちゃ可笑しかったよね。
PAN:そのときの対バンが怒髪天(※17)! お客さん少なかったね(笑)。30人とか。今だに増子さんと話すもんな。あんとき少なかったよな~って(笑)。怒髪天が休止して~復活したばかりくらいかな? 僕らは、その時で東京で2、3回目ぐらいのライブやったんちゃうかな~。

Q:主催の倉山君(※18)とは知り合ってたの?
PAN:いや。初めて。たぶん、ショボ兄(※19)の繋がりかな。でもショボ兄とも会ったことはなくて、電話ではすごい喋る仲だった。「大阪にええバンドがおるって聞いた~」ってかけてきたり。

Q:その頃まではニートビーツとしてリリースは?
PAN:リリースは、結成1年で自分らでアナログ(※20)でシングルやったくらいかな。CDにはまったく興味なくて。

Q:アナログこだわってたもんね。また、アナログがいいんじゃないかっていう時期だったしね。
PAN:前のバンドもアナログシングル。2枚出したかな?

Q:そして、色んなイヴェントに呼ばれるようになって、ライブ重ねてって、手ごたえ感じたのはいつぐらい?
PAN:ザ・ハイロウズ(※21)のマーシーが、九州で僕らのフライヤーを見つけて「気になる」っていう話になってたらしくて。でもCD売ってないと。もちろんアナログだったし、CDは出てたけど、輸入盤で出してたから、レコード屋行っても無い。それで気になる度合いが増したらしくて、ずっと半年くらい探してて、松山かどこか行ったときに、見つけたらしくて。ザ・ハイロウズのマネージャーの大和田さんも気になって探してたら熊本で見つけて、それを聴いたら「面白過ぎる」と…。 気になるっていう話が大きくなって、ザ・ハイロウズの事務所から電話かかってきて、たまたまその電話をとったのがトサで。当時ローンの……サラ金の勧誘がめっちゃ多くて。「金貸します!」みたいな、そんな電話ばっかりでうんざりしてて、トサも最初「ハイロウズの…」が○○ローンに聞こえて、またローンの電話かと思って「は!?」みたいな。「もう、いいって!借りたい時こっちから電話するし~」。「いやいや、バンドの!」って「ええ!?」ってびっくりして(笑)。「マーシーが会いたがってるから、ライブ1回見に来て下さい」って。それで、行ったら次一緒にやりたいって話になって……。「一緒にやるって何を!?」。俺らのライブ見てないのに演りたいって言われて、俺らは良いけど、大丈夫なのみたいな(笑)。「どこでやるんですか?」って聞いたら、「日比谷の野外(※22)で演る」って。「野音って、えええ!?」って(笑)。

Q:ツアーが今みたいな本数になったのは?
PAN:それはもうバンドやり始めて1年くらいで、ものすごい多くなってて。でもライブハウスとかあんまりなくて、カフェとかバーでやることが多かった。神戸でも毎週金曜にパブで演るとか、そういうのもやってたから数はすごく多くて。

Q:その数が今に繋がってるんだよね。日本じゃ中々起きないパターンだよね。その頃のレーベルとかレコード屋は?
PAN:レコード屋はずっとやってて。レーベルは、自分らのレコード出すためにやるみたいな。誰かを出したりとかはあまりなくて。そっから凄く多くなって。DECKREC(※23)The Mighty MogulsSHOTGUN RUNNERSとか。ニートビーツのアナログは全部自分らで出してて。あとオムニバス(※24)とか。結構60年代系のばっかかな。

Q:運営のバランスとかこだわりは?
PAN:他のバンドをリリースする時は、最初から俺らは何もせえへん「ただ出すだけやから」っていうのは言う(笑)。期待するやん、バンドって。インディーズレーベルなんて、自己満足の世界だと思ってて。アナログを出すために自分らのレーベルがあるみたいな。極端に言ったら、メンバー分の4枚でいい(笑)。けど一応リリースするのに名前いるよみたいな。あんまり運営って考えてたわけではないな。それでも良いんだったら、出すの協力するけどって。結構外国のレーベルってそういう感じっていうか、レーベルのネームバリューに惹かれて、みんなあそこで出してくれへんかなみたいなのが多いから、俺らもどっちかって言うたらそっちが多くて。それを考えたら他のバンド出す時はあんまり、そんなガッツリやってっていうのは出来ませんよって最初から言ってしまう。

Q:他のバンドから見たら自分のバンドを運営するだけでも四苦八苦なのに、ニートビーツは何でそんなに色んな事が出来るんだろうって思うと思うんだけど…。
PAN:そうやんな~。たぶん手を抜いてるからやろうね、うまく(笑)。もしくは、やるときは集中型というか。ライブみたいなもんで、300%のことを一瞬にしてやるみたいな。レーベルもスタジオもそんな感じかな。

Q:東京に出て来たタイミングというか、きっかけというか、決断は?
PAN:出てきたのは2001年。99年の終わりとか2000年の1年はめちゃめちゃ早かった! 目まぐるしく環境が変わったな。意外と決断とかはなくて。大阪でも結構家賃が高くなって。引越しせなあかんな~って思ったときに、たまたま東京の方が家賃下がる状態になったことがあって、じゃあ東京1回行ってみようかな~って。どんな街やろうくらいの(笑)。

Q:反対するメンバーはいなかった?
PAN:いなかったね。でもみんなビックリはしてたけど(笑)。バラバラだったけど、結局みんな来たからね。

Q:ツアーを沢山やってるから、別にどこに住んでいても気にならない?
PAN:そう。特に昔はツアーの組み方がひどかった。あっち行ったりこっち行ったり。

Q:ブッキングは自分で電話するの?
PAN:基本的にそうだね。

Q:そしてメジャーについては?
PAN:まあアルバム出そうかってなってきてて、DECKRECでやってて。次どうしようかってなった時に、たまたま「ウチでやりますよ」っていうのがユニバーサル(※25)で。でもかたくなに、「メジャーデビュー」っていう言葉を使うのが嫌で。結構他のバンドって使いたがるやんか。俺らは、絶対言われたくない「イメージに反する!」って言ってた気がする(笑)。

Q:たぶん今でもニートビーツは、メジャーなのかインディーなのか良く分かってない人が多いと思うけど、あまり気にしてない?
PAN:そういうところで見た目の敷居を上げるのが嫌で。ずっと、ロードバンド(※26)というか、クラブサーキット(※27)のバンドであることに意味があるというか。

Q:イメージ作りが上手いし、見せ方、見え方とか、チラシやポスターのイメージが、統一感もあって上手いなと思うんだけど、一番聞かれて難儀なとこだけど、その部分へのこだわりは?
PAN:こだわり……なんやろ? やっぱりビートルズ(※28)とか良いなあと思って。その辺の感覚というか……。

Q:その感覚はどうやって養う?
PAN:なんやろうね~生まれつきなんかな(笑)。そこで分かれるもんね。プライマル・スクリーム大好きですっていう人もいるし。いろんなバンドとか、今のバンドとかも聞くけど。よくあるやん、無人島に何持って行くかって。そしたらやっぱりビートルズ持って行きたいって思うもん。

Q:でも、ただビートルズのレコードを聴いていて、音楽観は豊かになっても、そういう感覚は出てこないじゃない?
PAN:そうやね~。そこやね~。ビートルズがライブしてた時のお客さんの感じとか周りの状態っていうか。ポスターはどんな感じだったとか、そういうのやたら気になるし。何がカッコイイかって。

Q:そのカッコイイを探る能力だよな~。ライブハウスにも言えるんだけどさ。一般的な見え方と、あまり人には言わないけど心の中で思ってるこだわりをどうやって伝えるか。伝えたいんだよね。
PAN:あるね。兼ね合いがあるもんね。あまりマニアックになり過ぎるのもどうかなって。ただのオタク状態になってしまうから、それを外に出せるような部分も必要やし、自分のこだわり、膨大な量のマニアックさも置いとくのも大切だし。そのバランス感覚はすごく難しいなと。単純にただビートルズ好きな人って、めちゃめちゃいると思うし。

Q:ねっ。めちゃめちゃ居るし、めちゃめちゃそれぞれのレベルっていうか思いもやっぱり違うでしょ?
PAN:それはかないませんっていうぐらいのマニアな人も凄い多いと思う。その人らが表現者として出せてるかって言ったらそれは別だと思うし。それをうまく外に出せるような感覚っていうのがいるかな。

Q:ビートルズで言えばさ、中学の時に一緒にバンドやったやつが本当好きで。ニートビーツとは全く反対側で、アビーロード(※29)のハコバンをやって、パロッツ(※30)っていうんだけど、オアシスの人に気に入られてイギリスに行ってた。成り立ちは全然違うけど、そういうバランス感覚だよね。
PAN:そうやね。

Q:バンドとして確立して、このスタジオが出来るわけですけど、作れると思った? 作りたいと思った?
PAN:作りたいと思ってたのはずっと前から。イギリスにいた時が一番影響力が大きくて。 向うで行ったヴィンテージスタジオが凄く印象深くて。やっぱり、まずそういう所で音を録りたい。それを超えると、環境を自分で作りたい(笑)。 そのときは20歳弱だったから。それから14~5年ずっと考えてて、何かせなあかんやろ。待ってても誰もせえへんやん。日本でそういうスタジオを探してみたけど無い。そこそこヴィンテージ機材とかあるけど、感覚的に一緒の人がおるかって言ったら、そこまでは絶対無理かなって思って。機材も環境も自分の望むものがあって、日本では人も同じような感覚の人がいなくて、これはするしかないなって。 例えば白衣とか着て出てくる人なんておらへんと思うし。

一同:(笑)

PAN:イギリスのスタジオで白衣着て出て来たからね(笑)。ピンポンって出てきた人が白衣着たエンジニア。びっくりして。「アビーロードスタジオ(※31)では、みんな白衣着てたんだよ」って教えてくれるわけやんか。その感覚が、うわーもう一緒や!って。

Q:そうなると日本のスタジオではこの自分のスタジオがベスト?
PAN:スタジオっていうより、白衣を着ている人はないと思うから、そういう中ではベストかな(笑)。だけど、合わない人は、合えへんと思う。「何これ、録れないやん」て言う人もいると思うし。エンジニアでも機材見て「こんなん使われへんやん」て言う人もそりゃいるだろうし。

Q:一般的には、今どきデジタル卓に移行してる時代の中で逆行だからね。しかしここは大好きな人にとってはたまらないよな。これだけの物を揃えられる方が、奇跡に近いと思うんだよね。
PAN:うん、ツイてるなって思う。けど、例えばイギリスとかで楽器屋さんと知り合って、俺こういうアンプ探してるって言うと、不思議と日本ではあいつは何か集めてる有名な人みたいになってて。「こういうアンプ入荷したけど欲しい?」みたいな連絡がくる(笑)。探さずとも。機材は結構それが多いかな。あと最近嬉しいなあと思うのは、こういうことやりたいって言ったら、うち使ってないから持って行って良いよっていう。でも、持って行って良いってことは、それは不用品ってことじゃない? 俺からしたら需要と供給のバランスが完璧に成り立ってる(笑)! こだわって探してると、そういうアンプ好きな人って少ないし、こだわって集める人もそんなに多くはないから。全部情報が俺のところに来る(笑)。

Q:一番お気に入りのアンプは?
PAN:やっぱセルマー(※32)かな。見た目も良いし。あれは、もっと欲しいね。

Q:セルマーのアンプ使ってた人って?
PAN:セルマーはお金がないバンドが使ってたアンプだから。ビートルズは、
ボックス(※33)使ってたけど、あれは売れてるバンドが使えてて、売れてないバンドは
セルマー使ってた。


Q:その感じも好きなんですか?
PAN:そうそう! その感じも好き。二流が好き(笑)。フェンダー (※34)使えないバンドが、
ヤマハ(※35)F100(※36)使う、みたいな。そういう感じ。


Q:マーシャルに辿り着かないっていうね。
PAN:ギブソン (※37)ではなくてグレコ (※38)みたいな。

Q:スタジオの設計は自分で?
PAN:そうやねスタジオは。だいたいこんな感じかなって。

Q:このスタジオは他のバンドが使いたいといえば、貸してくれるの?
PAN:たまにしてる。バンド側がよければ。一番そこが重要かな。普通のスタジオではないから、
来て全く違う場合もあると思うし。


Q:人柄と、音なりをわかって?
PAN:そう。結構出来ることが限られてるから…。出来ない事が多い(笑)。ここ細かく作って、
トラック多くして、なんて絶対無理だから。


Q:ここで何作品か録った?
PAN:ここで録ったのは、ニートビーツのアルバム1枚作って、今は次のやつを録ってる。こないだフラワーカンパニーズも録ったし。すごい良いできだと思う。作業は面白かったけど、すごいやりにくがってたかも(笑)。今のレコーディングの仕方と違うから。それに慣れてるバンドはやりにくいかもね。基本一発録りだったり、モノラル向きなスタジオだから。

Q:録った音は、何に落とす?
PAN:一応、何でもできるようにしてるけど、基本テープを使いたい。今、メディア自体が最終的にCDになるから、どっかからデジタルにせなあかんけど。ギリギリまでアナログ。ここで妥協するという地点を延ばしたい。今度録ってるニートビーツの音源は、一回レコードに落としてる。レコード盤を作ってそれをCDにダビングする、ていうのを今してて。これはあんまりせえへんやん。だけどそれやったら、CDでもレコードの音が聴こえると思う。CDにLPレコードをダビングするみたいなノリやねんけど。針を落とした音をCDにするっていう。そしたら家でレコードの音がCDで聴けるかなと思って。

Q:映画とかもそうだけど、昔のことをやるのに手間がかかる。
PAN:そこまでやろうかなっていうのを今思ってて。

Q:機材は全部ヴィンテージ?
PAN:基本ね。ほぼ旧い。9割。

Q:メンテナンスは?
PAN:たまに。大阪で旧いの好きな人がいて。これはできません、ていうのもあるけどね。部品が無いですとか。

Q:さて、どんなバンドも悩むところだけどメンバーチェンジについて。それでも活動を止めないパワーについて。
PAN:ニートビーツは客観的にやってるところがあって。メンバーチェンジも、アレーっていうくらいのレベル。同じメンバーでずっと演れるのは一番良いけど、メンバーが代わっても活動が止まらないっていうのは、稀なバンドかな。

Q:ほとんどのバンドはメンバーチェンジするって言ったら、じゃあ次のメンバーどうしようってなって、その間休まなきゃと思うんだろうけど…。
PAN:それはあるで! どうしようって思うこともあるけど、まぁ1日くらいかな(笑)。でもニートビーツって面白くって、探してるって言うと、「僕やりたいです!」ってやつが出てきて「あ、君で良いよ。できんの?」じゃあ演ろうよって。

Q:結成のときと一緒(笑)。
PAN:その後「簡単に演るって言ったけど……」って、言った本人が大変になってるというのは多いよね。

Q:看板に対する意識の強さだよね。バンドに関わらず掲げたものへの執念とか、お客さんへ対する責任感が重要だよね。
PAN:例えばメンバーが代わるって言ったときに、休止しますって言うのは、普通の流れやんか。でもお客さんはそれを求めてない気がして。「何であの人辞めるの?」ってなると思うけど、バンドとしては休止したところで何の意味があるのかなって。俺、休止とかいう言葉が嫌いで。言わんでええやん。たまたまライブやってないだけです。活動してるつもりでいて、別に休止してませんって(笑)。ロックンロールっていう単純なことを演っているから、そこだけ難しく休止っていうのがおかしいなって思って。ロックンロールの醍醐味って何でも有りにしてしまうパワーがあるやんか。

Q:けど新メンバーが曲覚えてるかなって。心配はあるでしょ?
PAN:そこはやっぱりギャンブラーなんやろね。賭けてみる!みたいな。

Q:それさえ楽しめるって事?
PAN:楽しめるね。どうなんのかな~みたいな。人間って土壇場に強いと思う。意外と強く出来てて、どっかで上手くやってしまう。でも、それをどれだけ勝ちの分があったかみたいな欲が出て来るから。これだけしか勝たれへんのはあかんやろ。勝つんやったらもっとデカク勝とうぜって。それが上手く出来ていると思うねんけど。賭けてみるのもええんちゃうかなって。本来バンドってロクなもんじゃ無いやんか。けど今はちょっと世間に馴染んでるやん。メディア的には浸透していて、標準のレベルというか。社会認知されてる。そうじゃないやんか。何でみんなギャンブラーじゃなくなってきてんのかなあ? 地に足をつけていきたい派人の方が多いよね。でもやっぱり何かトラブルがあるから面白いというか、曲間違えるかも分かれへんし、何が有るかもわからへんけどね。その感じで見るとバンドって増えたけど、平均点くらいのバンドが多いなみたいな。そうじゃなくて100点超えてるか0点に近いかの方が面白いと思う。

Q:そんなだからトサがアキレス腱切ってもジャンプするわけだ(笑)。
PAN:一番前のお客さんは、「でも~やっぱり痛そうでしたよ。ジャンプ低かったですもん」って(笑)。ええねん、ジャンプ低くても顔はものすごい飛んでるように見えるから!

Q:ライブ中に怪我したんだっけ?
PAN:そうステージから落ちて。地味やで~落ち方が。誰も気づかない(笑)。終わってから何してんのオマエ? どうした?って。

Q:怪我した翌日がQueだったんだっけ。リハで松葉杖ついてたのに、ライブ観たら嘘みたいに普通にライブしてたもんね。ところで治ったの?
PAN:ほぼ治ったかな? でもまだサポーターとかしてるけどね。

Q:ツアーやりながらでも治せるんだ(笑)。
PAN:アホだからすぐ忘れる(笑)。

Q:曲作りは?
僕が大まかに作って「こんな曲~って」言ってスタジオ入って、その日に録るもん。他のメンバー大変だと思うけどね。その日に覚えて、ちょっと練習して、ほな録ろうかって(笑)。だから、しばらく経つと、ライヴと音源が全然違う時がある(笑)。

Q:曲や歌詞のネタは?
PAN:曲ネタは無いかもね。毎回一緒だもんね。始まりと最後同じみたいな(笑)。歌詞は思い付きかな。あんまり考えるより。こんな感じの曲あったら面白いなみたいな。

Q:煮詰まることって無いの?
PAN:煮詰まることは無いなあ。そこまで考えて無いっていうのもあるね。何でも強引に持っていく。あんまり考えるバンドにはなりたくないから。「楽しんで、いい感じで遊んでるな」っていうぐらいの感じでいたいよね。しかめっ面でっていうタイプのバンドもあると思うけど、ニートビーツは違う。

Q:僕らにとって、一番こうあって欲しいパターンのロックバンドなんだよね。
PAN:バンドって一人では出来ないから。人ってやっぱり違うやん。性格も色々あるし。あえてその中でやらなあかんから。メンバーの悩みとか、バンドのやり方の悩みとか有ると思うけど、最初から違うんだから笑ろうといたらええやんって。トサとかアホやもん。あれに怒ってたらキリないもんね(笑)。お前、何そんな地味な落ち方してんねん!とかさ。

Q:歴代のメンバー含めて、音楽的なことでも怒ったことは?
PAN:あんま無いね。たまに~手抜いたやろ。手抜きはあかんぞっていうのは怒るけど。

Q:ケンカしたことも無い?
PAN:無い。しょうもないケンカとか、「俺のカバンどこやったん!」っていう子供レベル(笑)。「俺のお菓子どこ隠してんねん!」て。何でお菓子を隠すのかわかれへんけど(笑)。「お前、俺のお菓子どこ隠してん!」「おれ隠してへんわ!」ってケンカになるとか。

Q:ほとんど一緒にいるわけでしょ、1年の3分の2以上とか。険悪な時期とか無い?
PAN:険悪っていうか、大人しくなる時期はあるけどね。疲れて。

Q:そりゃあ、疲れるよね~。ライブって、30分~2時間くらいじゃない? けどツアー行くと移動6時間とかだよね。
PAN:そう、30分のために6時間って。凄いなあって。下手したら20分のライブとかあるやん。

Q:移動が楽しくなかったらバンド続けられないよね。車の中で何を喋ってるの?
PAN:しょうもないこと喋ってる。

Q:アメリカツアーでも、もの凄い走ったんでしょ?
PAN:走ったね、2000kmくらい一気に。

Q:楽器が無くて取りに行ったんだっけ?
PAN:そう。あのツアーに比べたら日本は全然余裕だと思う。

Q:アメリカでも自分で運転して周ったの?
PAN:うん。コーディネーター(※39)とかいたけど。来へんかった。地図だけ渡されて(笑)。お前、全然コーディネーターちゃうやん(笑)。

Q:えげつない質問ですが、利益はでるの?
PAN:ならへんね。基本的にチャージが低いやんか。パブとかで演らされることとかもあって。あんなんチャージ取らへんから。それに環境悪すぎるで。ある意味、日本が良すぎるってのもあるけど。向こうは使えない楽器も置いてるからな。

Q:壊れたアンプとかも置いてんだ(笑)。そんでPAの人が時間で帰っちゃうんだっけ?
PAN:時間制だから、押したらバンドが演ってたとしても帰る(笑)。

Q:それも凄いよね! 時間押して怒られることはあっても、帰るってないよね!

Q:ここから先の展望は?
PAN:大きく言うと、バンドでも世間的に普通になりつつあるところがあって。そういうのは嫌だから、例えばこんなスタジオとかでも「ええっ?」て思うかもしれないけど、僕の中の標準線ですみたいな。そういう突拍子もないことを全部普通にやりたい。ニートビーツはニートビーツでこれ別に普通ですよみたいな。

Q:「凄いですね」って、いちいち言われたくないよね。
PAN:僕ん中ではめっちゃ普通なんですけど、そういう感じで物事を進めたいなって。自分の中のラインって言うか。やっぱり、バンドでもスタジオでもそうだけど、「大丈夫?」「やって行けんの」って言う人が10人中7人いるからね(笑)。大丈夫とかいうレベルではない。「やりたいねん今!」って。やりたいことが有るって人に相談するけど「それどうなん?」って言われたら、だいたい落ち着いてしまうやん。けどそこをやって欲しいと思うな。ネタとして面白いやん。俺そういうの相談されたら。「やれやれ!」って。自分の中では「無理ちゃうか?」って思う事もあるけど、結構ひどいねんけど「やれやれ!」って(笑)。

Q:大失敗は? これは無理だったみたいな。
PAN:古着屋しようと思って、何回かアメリカに行って、すっごい数の服を買い付けてきたんやけど、あかんかったわー。その時に古着とかが値崩れし始めて。こんなん売ってもしゃーないみたいな。あれは失敗したな~。

Q:ノウハウもなくて「これやりたい! やろう!」ってだけ? 余った在庫はどうしたの?
PAN:あげた(笑)。家に2つ部屋あったけど、1部屋は全部服! それ全部いらんわ!ってあげた。

Q:今どき洋服屋にしろ、やりたいって言う若い子いっぱいいると思うけど~。でも普通、店舗借りて家賃払ってってまず考えてたら、やらないじゃない。そういう難しいこと飛ばして、すぐに買い付け行くんだ(笑)。
PAN:飛ばすね。当時アメ村(※40)でも結構家賃高くて、自分ではそんなん借りて出来へんなって。で、知り合いで古着屋やってるヤツがおって、買い付けてきたものを見せて「どんなん、見てよ!」って。そしたら「これは二束三文にしかならへんな~って」。やっぱり「分からへんことはやらない方がええな」って、そんとき思ったけどね。あと、古着に対してそんなに熱がなかったと思う(笑)。

Q:上手くいけば良いかなくらいだ?
PAN:そういうの良くないよね。やっぱり「好きこそ物の上手なれ」やんか。「好きやったんかな?」って考えると、そんな好きでもなかったよね。カメラとかもそう。一時期写真撮ってやろうと思ってライカ(※41)とか買って。昔のカメラを何台か持ってるわ。カメラの本とかも買って。「何なん、この絞りって?」っていう感じで。 撮ったの2枚くらいやもん。興味はあったけど「なんで俺ばっかりが撮ってんねん」て気持ちになってきて(笑)。

Q:そう言えば富士山(※42)登ったんだよね?
PAN:そう! こないだね富士山登ったよ。人に誘われて、最初は登るつもりなかったんやけど、ライブで言ってもうたやん。「俺、富士山登るから~」って。言った以上ねえ、行かないかんやん。

Q:どんなシチュエーション? 写真は?
PAN:一人で登るのも嫌だから、メンバー強制で。で、リーゼント(※43)で、革ジャン(※44)で。頂上でアー写とるぞって言って。けど、風めっちゃきついし、寒いし、山小屋で財布落とすし、とにかく疲れてるわけやん。撮るには撮ったんやけど、ええ写真一枚もなかった。

Q:その写真が見たい!
PAN:そう? 山頂ではすでに、髪の毛リーゼントじゃなかったし、外人さんとかが「OH! ROCK'N ROLL!!」とか言うねん。けど反応する元気もなかった(笑)。

Q:結果登ってどうだったの?
PAN:登って良かったわあ。日本一だけあるわ。

Q:さすが日本一のRock'n Roll Band。

そして話は会ってみてどうだった話へ… ここでは書けないローリング・ストーンズ(※45)の楽屋での話や、大友康平(※46)とのセッションなどビックリ話が炸裂。
PAN:エーチャン(※47)は、思ったとおりやったわ。それより隣りにいた少年ナイフが自分の子に「はいおじちゃんにだっこしてもらい~」ってエーチャンに対して言うねん(笑)。


判決:これは現代における脅威のスーパーロックンロールな出来事だ。この素晴らしさをもっともっと世の中に広めてもらう為に、Mr.PANにはよりいっそう頑張ってほしい。ロックンロール最高!! 真鍋崇スゴイ! そして読者全員にTHE NEATBEATSを必ず観ることという判決を下す!!

「CLUB Que 14周年記念特別企画 THE NEATBEATS MR.PANこと真鍋崇邸に家宅捜索!」キーワード解説。  監修:二位徳裕(CLUB Que)

※1 インディーズレーベル
メジャーではないレーベル。最近は定義が難しいけど、メジャーレーベルが金かけずに出す、便利な言葉に成り下がっているところもありますが、本来は金も地位も無いけど、バイタリティとアイディアで乗り切るすっげーやつがやる魂のレーベルの事をいうのだと思います。
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※2 パンク
1976年にロンドンで爆発したロックのジャンル。その前にニューヨークで巻き起こった。音楽的な手法よりもそのマインドによるところが大きいと思われます。青春パンクとはなんも関係ございません。インディーズとかDIYといった言葉の方が、より近い意味合いを持つと思います。
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※3 50's
1950年代の音楽ですね。でもだいたい初期のロックンロール。エルヴィス・プレスリーやエディ・コクランなどをさしてそういう事が多いですね。興味ある人はジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」という映画をご覧あれ。ちなみにこの作品の4年後に「スターウォーズ」が公開されているのですが、同じ監督でもっとも時代設定が幅広いのでは?
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※4 ロカビリー
結構定義が難しいです。今となってはストレイ・キャッツのスタンディングドラム+ウッドベース+フルアコの3ピースが定番ですが、デビュー当時彼らはネオ・ロカビリーと呼ばれていたので、元があるわけですが、それが50'sと混同されてしまうところも多いと思います。ということは50年代はほぼロカビリー一色だったって事も考えられるわけですね。代表的なのはジーン・ビンセント、カール・パーキンス、エディー・コクラン、エルヴィス・プレスリーetc...。
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※5 The Death Dealers
ニートビーツの前身バンド。
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※6 マージービート
ブリティッシュ系、UK系と総称されるくくりの中の1ジャンル。つまりイギリス生まれの音楽で、ビートルズやキンクスに代表される、タイトなスーツでおかっぱ頭で、リッケンバッカーでギターのポジションが高かったら、音聴く前にもうマージーだねっていっちゃう感じ。音楽はポップでキャッチーな感じかな。後期のビートルズをマージーとは言わないからね。
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※7 MAJESTIC SOUND RECORDS
真鍋崇主催のレーベル。当初は私的なレーベルだったものの、海外でのヒットを足がかりにして現在の形になったみたい。
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※8 OLD HAT RECORDS
50~60年代音楽とロックンロール音楽の専門店。オーナーは真鍋崇。
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※9 DOLL
1980年からあるパンクやロックンロールに傾倒した音楽雑誌。
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※10 フロッピーディスク
コンピューターが家庭に普及しだした頃の記録媒体。今となってはちょっとしか入らないので、あんまり使うことは無いです。
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※11 メールオーダー
手紙や葉書でやり取りしてやる通信販売のこと。
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※12 シンヤ
クスベシンヤ 元THE NEATBEATSのドラマー。現Radio Caroline。最近ではThe Symphonixを率いてGu&Voを担当。漫画に出てくるロッカーのようなスタイリッシュな男。
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※13 トサ
Mr.LAWDY:本名>土佐和也 ・現THE NEATBEATS Vo&G - 1976年2月9日生まれ。
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※14 ダイちゃん
Mr.GULLY:本名>浦大・現THE NEATBEATS Vo.B - 1973年1月20日生まれ。2001年1月21日脱退、07年11月23日復帰。
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※15 ミウラ君
Mr.ROYAL:本名>三浦誓山(ex.THE NEATBEATS)Vo.B - 1975年12月13日生まれ。2007年11月脱退。
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※16 Queでの最初
2000年8月5日のCLUB Queのライブ。タイトル"ディスカバリージャパン" 怒髪天とマーブルダイヤモンドとCLUB Queの合同イヴェントとして始まった。出演は怒髪天/マーブルダイヤモンド/NAHT/THE NEATBEATS スピーチ>坂さん一家。ちなみに怒髪天の復活は1999年でした。
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※17 怒髪天
CLUB Queとは切っても切れない、縁の深いバンド。なにしろ9周年で作った映画「Colors of Life」の主演だし、CLUB Que開店以前からのつきあいですから。
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※18 倉山君
1990年ごろから下北沢をウロウロしている人。現24/7のVo。ex.マーブルダイヤモンド。1993年の下北沢屋根裏のオムニバスCDやUKPからの音源リリースあり伝説のイヴェント"ビバヤング"の運営者。
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※19 ショボ兄
根本直樹 DECKRECの代表。ガレージ系オールドロックンロールのバンドを次々にリリースしてヒットを飛ばす。元CLUB Queパブ店員。
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※20 アナログ
アナログ盤:塩化ビニールを円盤状にしたもので音が録音されている。
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※21 ザ・ハイロウズ
初ライブはCLUB Queでした。
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※22 日比谷の野音(日比谷野外音楽堂)
言わずと知れたロックのメッカ。キャロルのステージ炎上、THE MODSの激しい雨のせいで電気一切使えないライブ、ラフィンノーズの痛ましい事件など、数多くの事件が起きた場所でもあります。ここで指すイベントは2000年の8月26日の「that summer feeling」、出演:HIGH-LOWS/THE NEATBEATS/JONATHAN RICHMAN/KING BROTHERSです。
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※23 DECKREC
元CLUB Que店員の根本直樹主催のレーベル。
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※24 オムニバス
沢山のバンドが集まったCDなりレコードのこと。
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※25 ユニバーサル
レコード会社。
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※26 ロードバンド
ロード=道。とにかく道を走って移動して、次の街で演奏して、また次の街へ…。ずっとそんな活動をしている、誇り高きバンドのことをそう言う。当然百戦錬磨なので、大資本音楽には無い生身の人間の極限の音楽が楽しめるハズ。
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※27 クラブサーキット
サーキットといってもレース場のことではありません。クラブを周ることをそういうんですね。
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※28 ビートルズ
皆知ってるイギリスのバンド。1966年来日。今に至るまで殆どこの人たちが開発した奏法でロックは成り立っているのではと思うほどの発明者団体でもあると思います。
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※29 アビーロード
ビートルズ好きが集う六本木のクラブ。毎日ビートルズのカバーバンドがステージをこなす。
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※30 パロッツ(The Parrots)
CLUB Que店長の二位徳裕が中学生の時組んだバンドのギタリスト(当時)がポールマッカートニー役で在籍するビートルズのカバーバンド。オアシスに気に入られてイギリスでライブしたり映画に出たりしてます。六本木アビーロードでやってます。
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※31 アビーロードスタジオ
ビートルズがレコーディングしたことで有名なイギリスのスタジオ。
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※32 セルマー
管楽器で有名なメーカーですが、ここで指すのは旧いギターアンプ。詳しいことは分かりません。とにかくニートビーツが愛用してて、彼らのアー写で見ることが出来ます。初期のウルトラヴォックスが使っていた。
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※33 ボックス
VOX ギターアンプ主軸の楽器メーカー。やっぱりビーンテージ色が強いというか、50年代後半から登場してビートルズやジャムの影響で広がったイメージ。つまりリッケンバッカーとの相性がいいとされてます。けど自社ギターもリリースしてます。他の工業製品がどんどん姿形を変えていく中で、楽器だけは旧き良きを踏襲できるのは、何があるのでしょうか。かなり研究材料として面白いと思いますよ…大学生の皆さん。
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※34 フェンダー
ギブソンと人気を2分する、超有名な楽器メーカー。ストラトキャスターやテレキャスターなどオーソドックスなギターをリリース。チューブ使用のギターアンプは、いまだリリースされていて、CLUB Queにも常設。様々な工業製品をして最も旧き良きを知るメーカー。
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※35 ヤマハ
日本の凄いメーカー。楽器はもちろん、バイクやゴルフ用品やリゾート経営までしてます。日本のスパーカートヨタ2000GTのエンジンはヤマハ製です。
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※36 F100
ヤマハのギターアンプ。たぶん1980年前半に登場して、今も良く使われてます。名機とはこのこと。もちろんCLUB Queにも常駐してあります。
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※37 ギブソン
ギタリストなら誰でも1本は欲しいギターのメーカー。フェンダーと人気を2分する。その中でもレスポールが有名ですね。1902年創業。
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※38 グレコ
日本の楽器メーカー。当初はギブソンを持てない少年用の入門ギターというイメージもあったけど、実は結構いい楽器をリリースしてると思います。
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※39 コーディネーター
色んな意味があると思いますが、この場合ライブをコーディネイトして場所やツアー工程を決める人。
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※40 アメ村
70年代から注目される、大阪のやんちゃな若者が遊ぶ街の一角。原宿と比べられることが多かった。
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※41 ライカ
100年近く存在するカメラのメーカー。ドイツ製。光学機器のハーレーダビッドソン的存在。
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※42 富士山
日本一高い円錐状の山。つーか知らないやつはいないだろう。近年バンドマンの中で富士山登山ブームなのです。
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※43 リーゼント
ヘアスタイル。1950年代のデトロイトあたりの自動車工がオイルにまみれた手で頭を撫で付けてたらできたヘアスタイルだという説が濃厚。
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※44 皮ジャン
不良少年の永遠のアイテム。なんだろうけど最初は空軍が使うジャンパーでした。1953年の映画「乱暴者(The Wild One)」公開の影響で当時のバイカーに広がって今のイメージになった。
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※45 ローリング・ストーンズ
1960年に母体が出来て62年にライブデビュー。それからからずっといる、最古参のロックバンド。彼らのスキャンダルの多さでロックは不良のものと位置づけられたのも、あながち間違ってないと思います。でも69年のカリフォルニアのフリーイヴェントで、あんまり知らずにホントの不良を雇って死者まで出てしまうというとんでもない事件になったという結果もあったり、暗殺計画もあったり、そういうのも乗り切って今も続けてるのは凄い。
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※46 大友康平
正真正銘、ハウンドドッグのボーカリスト。1980デビュー。
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※47 エーチャン
日本中に色んなエーちゃんがいると思いますがここでいうのは、矢沢永吉のこと。広島から単独上京(横浜)して、メンバー集めてキャロルを結成。デビュー前のビートルズのスタイルでロックンロールをやったらば、72年にデビューして、瞬く間に全国の不良少年少女のハートをわしづかみしちゃうも、実質たったの2年半で解散。その後もソロで数々の伝説を残す人。1975年4月13日の日比谷の解散ライブはあまりにも有名。ロック好きじゃなくても1回ビデオで見てみましょう。
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