ジャパニーズロックを最前線で20年以上も担っている3バンドと、そこに憧れてはじめてもう9年。ソールドさせるまでになったバンドの代表に集まってもらいました。昨今のロック事情、そしてロックの意味とは…ほろ酔いかげんで、アツク語ったその先はいかに!!

■MEMBER …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
古市コータロー (THE COLLECTORS)
1986結成、87メジャーデビュー。モッドでサイケなブリティッシュビートを日本に定着させ、さらに日本のロックの核を作ったといっても過言ではないバンドのギタリスト。伝説的なバンドといっても過言じゃないだろうけど、本人はいたって気さくで「オモシロ事好き」。70年代の雑多で刺激的なカルチャーを真に受けた世代としても、ロック牽引者としても、この人の話は聞かねばなるまい。ステージに立ったら187cmの長身で立っているだけでギタリストというオーラを放つ。1964年5月30日生まれ 東京出身。


山中さわお (the pillows)
絵に描いたようなロックバンド。力技ではなくホントにバンドの力で上がっていった数少ないバンドのVo兼ソングライター。ジックリ熟成し、結成20年をしても右肩上がり。今年秋には武道館公演を控えている。表面的なイメージよりもずっと男くさくて骨っぽい性格の持ち主。アーティストとして以上にイキザマ的な魅力を感じる人も多いはず。探究心の深さで発する音楽も刻々とスタイルを変え、より刺激的で魅力的なものになっている。91年メジャーデビュー。1968年12月7日生まれ 北海道出身。


大木温之 (Theピーズ)
87年に前身となるジャコフ&ゲイリーズを結成。89年にメジャーデビュー。とにかく事件というかハプニングの多いバンド。ある意味日本のパンクロックはピーズにあるのではと思わせてしまう。何度かのドラマーチェンジのあと97年夏に突如活動休止宣言。何と5年もの沈黙。その後はpillowsのドラマーでもある佐藤シンイチロウを迎えて、より刺激的にコンスタントに律儀に活動中。出身は千葉で双子の弟にTOMOVSKYがいる。1965年12月14日生まれ 千葉出身。


岩沢正美 (フーバーオーバー)
2000年結成。翌年インディーデビュー。紅一点、野郎共に囲まれて歌わされているのかと思いきや、主導しているのは完全に彼女自身。ロリポップな愛らしいイメージとは裏腹に、強い信念と折れない心を持った女の子。Queでは振袖空中分解という自主企画を続けていて好評。CMや映画などに起用されることも多いのは、そのキャラクターと音楽性が高いレベルでバランスしているからだろう。
9月11日生まれ 神奈川出身。


二位徳裕
CLUB Que開店からの店長。インクスティック芝浦ファクトリ(88~)→下北沢屋根裏(’90) →CLUB Que(’94〜)。1966年生まれ。佐賀出身。

ライター:えびさわなち
雑誌、WEBマガジンを中心に音楽のみならず映画、お笑い、マンガなどエンターテイメントに特化した取材をしたり、記事執筆中下北沢で飲み歩くのが大好きで"酔っぱライター"と呼ばれることも多々アリ。

写真:Sumie 寿
1999年 CLUB Queの オフィシャルカメラマンとして、そのプロフィールを開始その後、フジロックやSUMMER SONICのオフィシャルを経て現在では音楽誌を始め多岐にわたり活躍中。 http://kaoriko.sakura.ne.jp/jucca/index.html

――2009年、Queは15周年というアニバーサリー・イヤーを迎えますが、今年も毎年恒例の、Queならではの魅力溢れる対バンで夜ごと宴が繰り広げられる季節がやってきます。そんな数ある魅惑の対決の中から今回は4バンドのみなさんに集まって頂いたわけですが…。フーバーオーバーの岩沢さん以外、このまだ明るい下北沢で酒を飲んでいるという状況もまたQueらしいというか。下北沢だなぁ…という感じがしますね(笑)。 そんな今回お集り頂いたみなさんの対バンっていうのはどうやって決まったんでしょうか?

二位:今回は15周年なんで、物凄いみんな忙しいのは承知の上で、なんとか出てくれないかっていう話をしているところで、「Theピーズ対the pillows」っていうのがさわおくんのアイディアで出てきて、成立したんですね。

山中:今回の出演に関しては全てタイミングがよかったんですよね。まず、the pillowsの20周年の対バンツアーというのがあるんです。その対バンツアーの中でTheピーズとやりたいなっていう想いがあったんですが、なにせTheピーズというとドラムのシンイチロウがカブってるでしょ。「20周年という僕らのお誕生会なので一緒にステージでお祝いをしてください」という気持ちがありつつの対バンツアーなのに、Theピーズと対バンしてしまうと「一緒に祝ってください」とお願いしているバンド側にメンバーがいるというね、非常にシュールな状況になる(笑)。それにどこの会場も割とデカいところでやっていることもあって…。そう考えると「Theピーズとの対バンはどうなんだろう?」っていうのがあったんです。でもQueでなら、シンちゃんがカブってるというシュールさも緩和できる感じもあるし。

大木:縁のある場所だしね。ちょうどいいんじゃない?

山中:そうなんだけど、実はQueの15周年だってことは(話を聞くまで)知らなかったんですよね。でも僕らだけの中で「この対バンをQueでやらしてもらいたいな」という思惑があったところにまんまと二位さんから「今年15周年なので、出てくれないかな」って連絡が来て(笑)。これはきたな、と。「実はもう勝手に話してます」ってメールしたんです。その時点ではまだハルくんには話をしていなかったんだけど、僕も二位さんも「ちょうどいい!」ってことで決まりました。

二位:そうだったんですよね。

――フーバーオーバーとザ・コレクターズという対バンに関しては?

二位:フーバーに出てもらうことが決まっていて、「どういう人と対バンしたい?」って聞いたら真っ先に出てきた名前がザ・コレクターズだった。それを聞いて「わかった。ダメかもしれないけど、一応、聞いてみるよ」って連絡したら「いいんじゃない?」って答えが返ってきて、すぐにも決まった対バンです。

岩沢:本当にダメで元々っていう気持ちで、とりあえず言うだけ言っちゃえ!っていうことで言ったら、OKして頂けたので、本当に嬉しいです。

――なぜザ・コレクターズだったんでしょうか?しかも真っ先に名前を出すくらいの情熱と共に。

岩沢:今のバンドをはじめたきっかけがザ・コレクターズだったんです。衣装にしてもスタイルにしてもすごく影響を受けたことで、フーバーオーバーというバンドを始めたっていうくらいに大ファンなんです。

――期せずして今回、お2人ともピンクの洋服をお召しでしたね。

古市:これはもう打ち合わせ済みだったからね。(一同笑い)

――コータローさんとしてはいかがですか?下の世代のバンドからのこういう熱
烈な声は。


古市:いや、もう。嬉しいですよ。

――Queの15周年である今年、Theピーズとザ・コレクターズは結成から20年を
越えていたり、the pillowsも今年は結成20周年。まもなく10周年が見えてくる
フーバーオーバーではありますが、先輩として"長く続ける"秘訣のようなものを
岩沢さんへ送るとしたら、どんなことなんでしょう?


古市:いや。特にないよね。だって僕らがやってきた20年と、彼女たちがやっていく20年は全く違う世代ものだから、僕から「こうだ」っていうのは伝えてあげられないけどね。

大木:あ〜。

――でもバンドをやっていくスタンスといのは変わらないと思うのですが。

古市:どうなんだろうね。ライブハウスひとつをとっても、オレらがさ、それこそ「バンドやるぜ!」って思ってた頃は、ライブハウスでも尖ってたりするスタッフもいたりして、テープを渡したとしても「なんだ?これ」とか言ったりしちゃう時代だったんだけど、今はもっと事務的でさ。テープを受け取る人も「あ。そうですか。聞いた後にご連絡するのでこちらにご連絡先を…」みたいな感じだと思うんだよね。そのちょうどあいだにいるのが二位さんなんだよ。昔かたぎを残しながらやっている人でさ。だからオレから言えるのは、二位さんみたいな人と付き合っていればいいと思うよ。

二位:ありがとうございます。(一同大爆笑)

古市:昔かたぎの人っていうか、突然来て「夜の部に出して下さい」って言ったって、まだ早いよって言われるのは当たり前の話でさ。でもそれによって「いつか夜の部に出る」っていう目的意識が出来たりもするわけじゃない?そういう意味でも古くからのスタンスを残した人と付き合うのは色んな意味で、そのバンドのベーシックになるよね。その意識を持っていれば、どんな状況になってもバンドを続けていくことが出来る気がするよね。礼儀のなってないバンドとか出てくるとさ、さわおなんてすぐに殴っちゃうからさ。それも昔かたぎだよね。

山中:ちょっと待って下さい(笑)。おかしいじゃないですか(笑)。

古市:でもさ、ライブハウスでの経験を積んでないバンドってすぐにわかるよね。初対面のバンドと対バンで一緒になったりして。楽屋の荷物の置き方で「オマエ、ライブハウスで経験を積んできいてないな」っていうのがさ。

山中:あ〜。結構、多いですよね。

大木:楽屋の荷物でどうわかるんですか?

山中:例えば、1つのバンドが荷物を3か所に分けて置いていたりするのとかね。3バンドとか出るんだったら、1つの場所になんとなくまとめておいたら、ほかのバンドも物を置けるな、とかって考えておくことが出来ていなかったり。…でも、もうそうなるとバンドというよりも普通に人としてのエチケットだと思うけどね。(一同爆笑)

――経験を積むこがバンドの財産になるというのは「なるほどな」と頷ける話ですね。フーバーオーバーは来年が結成から10周年というアニバーサリー・イヤーを迎えますが、10年っていう区切りへの焦りみたいな感覚は今、あるんでしょうか?

岩沢:ありますよ〜。全然。

大木:オヤジさんに「おし。好きなことしてこい。でも10年経ったら帰って来いよ!」って言われてるんでしょ?

岩沢:言われてないです(笑)。

古市:でも実はフーバーオーバーの9年でも長いよね(笑)。

大木:来年売れなかったら辞めようっていう、第1の壁が来る頃だね。ピーズは10年で1回辞めたけどね。

二位:あの活動休止の時で10年?

大木:そう。あの時で10年。もうダメだって思って1回辞めた。それで5年後にじゃがいもを掘り起こすかのように…。もこもこもこっと土の中から現れた!

二位:その時は誰がやろうって言い出したの?

大木:誰もやろうとは言っていなかったんだけど、ほかにもうやることがなくて。やっぱりバンドするしかないなっていうモードで、今日まで来てしまいました。

古市:Theピーズはスパッと辞めたもんね。普通さ、辞めるって言いつつもぶらさがる人も多いじゃない?

大木:お別れツアーしたりね。オレらは「次のツアーで辞めます」って言って、それが東北の方のツアーだったから、大した騒ぎにもならずスッと辞められたんだけど…って、こんな淋しい話はやめましょう(笑)。

二位:そして今年はthe pillowsが結成20周年。

大木:見事!ノンストップだもんね。

山中:止まってないですね。

大木:すごいよ。

山中:でもザ・コレクターズはもっとすごいわけだから(笑)。

古市:たいして変わらないよ。

――コータローさんがQueに初登場したのは実は1995年のことですよね。

古市:その時点でコレクターズが9年目だもん。

大木:ピーズは8年目だ。今、結成22年だけど、途中で5年間止まってるから。マラソンの途中でこっそり車に乗ってるみたいなもんだから。トイレ行って来ま〜す!って(笑)。

二位:そのハルくんとオレが初めて出会ったのはコンビニだったんだよね。

大木:19歳くらいのときだ。まだ二位さんがギター弾きだったんだよ。二位さんのバンドのベースの兄ちゃんとオレがコンビニのバイトで一緒で。その兄ちゃんのライブを見に行ったら二位さんがギター弾いていて。で、弾いてたと思ったら二位さん、スパッとそのバンドやめて、いつしかQueをやっていたんだよね。ナイス決断だよ。

二位:いやいや。ナイス決断でもないっす(笑)。60歳デビューでバンドやります(笑)。

――10年目で誰しも感じてしまうというバンドの壁。コータローさん的にも壁にぶつかったことはあったんですか?10年と言わず、活動を続けてきたこの23年を振り返ってみていかがでしょうか?

古市:まぁ、最近だね。今ってさ、CD売れないでしょ?だいたい今"売れてる"と言われている数字も10年前なら"売れていない"部類の数字だからね。だから新しいCDの売り方なり、やり方がフーバーオーバーみたいな若い世代のバンドで編み出されていくんだろうけど、オレらのような昔のやり方でやっているバンドは、ライブやってレコード作って、ツアーしてってしか出来ないからね。それがロックバンドの正しい姿だとは思うけど。

大木:あの頃は制作費とかびっくりするくらいかけてくれてましたよね。

山中:オレも体験しているんだけど、なんでか知らないけどお金にはなっていなかったですね。

――そんなにすごかったんですね。音楽バブルは?

古市:バンドブームがあったのはデカかったと思うけどね。

大木:デカい。オレらが損したのはイカ天がスタートする前にもうレコードデビューしちゃっていたから、イカ天に出られなかったんだよ(笑)。

古市:そうそうそうそう。

大木:イカ天の波に乗っていたら今頃、BLANKEY JET CITYみたいにいってるかもしれないからね。(一同爆笑)

古市:イカ天の時なんてオレらはもう3rdアルバムが出ていたからね。「うらやましいなぁ」ってイカ天バンドを見ていたよ。

二位:けど、その下の下にいた僕らには、コレクターズなんかは神の域ですよ。

山中:僕は1989年に東京に出てきたんだけど、その時ってまだCDとレコードとの移行具合が微妙な時期で、CDを持っていないこともそんなに恥ずかしくはないギリギリの時代だったんです。それで東京に来て初めて1枚だけCDを買ったんですけど、それが今の話に出てきたザ・コレクターズの3rdでしたね。

古市:そうなんだぁ。でもオレらはその時、CDとLPだけじゃなく、カセットも出してるからね(笑)。

――89年に結成されたthe pillowsですが、初ライブはどこでした?

山中:神奈川のどこか文化会館でしたね。

――コータローさんとはその初ライブの頃にはもう遭遇していたんですか?

山中:それが東京に来た翌日。まだ東京に来たばかりなのに、the pillowsの初代ベースの上田ケンジと待ち合わせをしたのが浅草ロックスというところで、上京翌日で東京について何もわかっていないのに浅草まで行ったんですよ。そこでのラジオ番組のゲストに上ケンさんが出るってことで行ったら、同じくゲストだったのがザ・コレクターズだったんです。すごくファンだったので、ソワソワしましたね。今、こうして向かい合っているのと同じくらいの至近距離でお会いしてドキドキでしたよ。

古市:あ〜。八田健司(KENJI&THE TRIPS/佐藤シンイチロウが在籍した)が来たときだ。あの後、なんでか八田健司と飲みに行ったんだ(笑)。

山中:そうですね。八田さんと言えば、僕はKENJI&THE TRIPSが解散してからthe pillowsが結成されるってことで上京してきていたわけなんですけど、その時に初めて、関東で、解散前のKENJI&THE TRIPSを見に行ったらそこにTheピーズが出ていたんですよ。シーナ&ロケッツと一緒に。

大木:あ〜。それ、横浜だ。

山中:そうそうそう。それで『納豆ばかり食ってていいのか』をやっていて。

大木:すいません(笑)。

山中:なんていい曲に変な歌詞を乗せているんだってド肝を抜かれて。全然知らなかったから。北海道にはカステラ(TOMOVSKYの前身のバンド)の噂は届いていたんだけど、まだTheピーズの話は聞いていなかったから。本当に衝撃的で。なんだろう、このバンドは!?って。

二位:それはド肝を抜かれる(笑)。

大木:中身のなさがウリだったから(笑)。バンドは好きなんだけど、自分のことは嫌いだったからね。いかに空っぽをアピールするかだった。また今、原点に戻るんだけどね。

――フーバーオーバーの岩沢さんはそんなみなさんにどんな印象を持っていましたか?

岩沢:いや、もう。ずっとCDで聴いてきて、大好きだったみなさんなので、今日はもう…。

大木:ガッカリしてます。(一同爆笑)

山中:印象ってね。みんな、昼間っからこうして酒飲んでるんだけどね(笑)。

大木:酒飲むおっさんに囲まれてるね(笑)。

岩沢:いやいや。ロックな中にいるなぁって感じです。

――バンドブームは知ってますか?

岩沢:はい。もちろん。イカ天もずっと見ていたんです。夜中にカップラーメン食べながら見てました。ちょうどわたしが高校に入ったときにバンドブームが終わっちゃって、バンドが組めないという時代になったんです。

山中:えー!? 終わったから組めないってことはないでしょー!?(笑)

二位:バンドをやりたいっていう人がいなくなってたってこと?

岩沢:そうなんです。

大木:だってね。Jリーグもサッカーをやる人が減っていてチームが組めないっていうもんね。

二位:ブームってなんですかね〜?

大木:本当だよね。

古市:バンドブームは酷かったよね。

――バンドブームの終焉の頃にQueって立ち上がったんですか?

二位:いや。終焉のときにはオレは下北沢屋根裏にいたな。その前インクスティックにいて、それが今思えばバブリーで、といっても給料は11万くらいだけどね。宝島とかのイベントも盛り上がっていて。それが閉店して、そういうバンドブームも終わり、90年から下北屋根裏で働きだしたら「なんて貧相な…」っていうタイミングだった(笑)。でも凄いバンドいっぱいいたんだよ。ミッシェルや怒髪天なんか。だけどお客さんが呼べるバンドは新宿ロフトか渋谷ラママっていう時代で。その時代に下北沢で一体何が出来るんだろう…って思ったの。悔しかった。そのあと94年にQueはスタートしたんですよ。

――ちなみにフーバーオーバーは何年にQueに初登場となったんでしょうか?

岩沢:たぶん、2005年とかだと思います。なかなか出して頂けなかったんです。二位さんに何度も何度もアタックしてようやく出してもらえたんです。

――Queに対してはどんなイメージを持っていました?

岩沢:下北沢では沢山バンドが出ているから、自分たちでは出してもらえないっていうイメージがありました。敷居が高いライブハウスっていう感じがありました。

二位:そんなことはないですよ〜。

――コータローさんにとってはQueという当時新しかったライブハウスに対してど
んな印象がありました?


古市:オレらなんかは年だから。「新しいお店だな」って思ったね(笑)。

山中:イメージって言っても、ゼロから付き合ってるからイメージもなにもないんだよね。単純に、使い勝手がいい、よく考えられた設計がされているなっていう感じはしたかな。イメージとかはないんだけどね。二位さんが新しく作ったってことで「これは何かと都合がいい会場が出来たな」っていう気持ちもあったけどね(笑)。

大木:Queがオープンした頃って西新宿のロフトってどうだった?

二位:まだあって。そりゃ最高峰のイメージ。

大木:でも立ち退きどうのこうのって…。

二位:ちょっと後から騒がれだしたんじゃないかな。

大木:その前に渋谷のセンター街にあった渋谷屋根裏が潰れちゃったり、ロフトも立ち退き問題でどうなるかわからない(後に立ち退き現在の歌舞伎町でリニューアルする)とかで、ライブハウスがどんどん潰れていってしまうようなイメージだったから、たぶん二位さんが頑張ったところで、そんなに長くはないだろうとオレは思ってたね。ただ地下2階っていうのはすごいとこ見つけたなぁって思ってた。

――長くはないと思ったんですか?

大木:そう。でもどうせここがダメだったら、別の場所に作るだろうって、それくらいのフットワークで始めているような気がしたんだよ。ここでまさか骨を埋めて、十何年もやるまいと思ってたよ。だって音響とかも、昔のロフトとかバカでかい音出してたのが、当時下北沢屋根裏はわりと音も小さくて「本当にこんなんでライブハウスなのかよ」って思ってて、ライブでは耳もっとツブれたいじゃんかって。新しく出来るQueもそういう店ではないだろうから、軽い演劇とか"発表の場"くらいのスペースになるんだろうなって思ってて。こんなにゴリゴリライブをやるようなお店になるとは思ってなかった。たぶん。15年前は。

二位:最初の3年の音はショボかったです。ちなみにメインPAの古川は当時のBOOWYやアナーキーが出てた頃のロフトのPAだったの。そこからシェルター。そしてウチの立ち上げから。だから俺と古川は最初からいる店員なんです。

大木:もうないけど前橋ラタンとか、昔のロフトとか、大好きだったんだけどさ。デカい音は時代遅れなのかもね。だからオレはQueっていうのも仮の住まいなんじゃないかってくらいに思ってたんだよね。

――ハルさんの予想に反して引っ越すこともなく、今や15周年!

山中:これが意外や意外。QueじゃなくてQueの上の階はやたら引っ越すんだよね。

――そう考えるとここにいる誰もが15年続くと思っていなかったということでしょうか(笑)?

二位:オレも思っていなかった(笑)。

古市:オレは続くと思ってたけどね。

――本当ですか?

古市:だってライブハウスってリスク少ないないから。二位さんがかったるくならない限りは続くわけよ。

二位:(笑)。

――ってことは、二位さんがかったるくならなかったということですね(笑)。

大木:Queはノルマとか今どうなの?ない?

二位:うん。無い。初めて昼の部に出る人はつけてるけど。

古市:それは修行だよね。

二位:うん。そこは修行です。大事です。でも最近は理解してくれないバンドが多いっす(笑)。

山中:僕が思うに、有名なバンドは出ていなくて、お客ゼロみたいなバンドが5バンド出てて、きっちりノルマ取るっていうのが一番儲かると思うよ。ノルマがあれば、客がゼロでもいいんだよ。それで絶対に毎日収入があるし。北海道の田舎から出てきて、東京のライブハウスに出れればもうそこで充分な気がしちゃうと思うし。

古市:それで夢を持ったバンドマンは夢を食われていくんだよね。

山中:気に入ったバンドでノルマ無く出すっていうのは、商売に成りづらい気がするんだよ。余計なお世話だけど。

――イベントをやる側としてQueは付き合いやすいですか?

山中:Queというか、二位さんね。仲良くしてもらってるからリラックスして言いたい放題(笑)。

二位:さわおくんというか、ここにいる皆は自由でしょ。っていうかね、例えばさわおくんがやることはヘマは無いだろうっていうのがあるから、当然安心感があるのね。要は信頼関係なんです。初めての人は、まず信頼関係を築くところから意識してもらえれば…それがあるなら、無茶も聞けるし、アイディアや情熱もわくし。無茶こそロックだけど、知らない人とか分かった風な人に無茶されるとムカつくってのもあるじゃないですか。そういうのがあると怒っちゃうから、敷居が高いとかいわれるけど、それは凄くいやで、敷居自体はぜんぜん低いの。僕はみんなと知り合って仲良くしたい(笑)。

――15年という歳月ですが、その間、改装があったり、店員さんが卒業していったりと変化がありましたが、長くバンドをやることでみなさんに"変化"もあったのではと思うんです。そのあたりのお話を伺いたいな、と。やはり時を重ねることで人間的な引出しも広がっていくと思うのですが。

二位:引出しの広さと言えばコータローさんたちのDVDのオマケについていたMCのみを収録したCD。あれはすごいですね。

古市:あ。聴いた?

山中:MCだけ!?

二位:そう。MCDだって(笑)。あれはもう、最高でしたよ。

大木:漫談のレコードみたいだ(笑)。

二位:だっていつまで経っても曲が始まらないんで…。

古市:ライブ漫談なんだよ。あれは。

二位:曲を聴きたいのに、言っちゃいけないような話、いっぱいやってますよね。いやぁ、面白かったです、本当に。

大木:でもお客さんは嬉しいだろうね。

――そういう人間的な引出しは音楽にも滲むんでしょうね。

二位:そりゃあ、そうでしょう。

古市:いや。わからないよ。だってビジュアル系の人がいきなりそんなに話ばかりしても困っちゃうじゃない?オレらも年を重ねてきたら、自然とそうなっていっただけだから。

二位:自然に変化していったんですか?

古市:本当に自然に。だってお客さんが喜んでるのを見ると「あ、喜んでるんだな」って。だったらもっとさらけ出してもそれはサービスかなぁって。まぁ「もういい加減にしてください」っていうファンもいるだろうけどね。

――the pillowsは長くやってきたことで変わってきたことっていうのはありますか?

山中:僕らはほとんど変わったかな。変わってないことが少ないくらい。ほとんど変わっちゃった。でも変わっていいと思ってるし。音楽も変わるし、ヘタしたらキャラも変わったかもしれないし。

古市:ピーちゃんなんて別人だと思うもん。

大木:さわおくんだって、すごく自分の生の弱い感じを出してたよね。

古市:そうそう。オレも久しぶりにクアトロで見たとき、びっくりしたもん。いいことだよね。

大木:アコースティックになったりもしたよね。

山中:ありましたね。the pillowsはかなり極端に変化していると思う。途中、ジャズとかボザノバとかソウルみたいなのばっかりやっていた頃も2年くらいあったし。

大木:地球全体がニルヴァーナの影響を受けたときもあったもんね。(一同爆笑)

山中:そうそう。そういう極端なときもあったし。今はロックで普通のつもりなんだけど。とにかく僕はマイブームの音楽に影響を受けるから。ただ変わってないことがあるとすれば、シンイチロウくんと真鍋くんと音楽をやっているっていうこと。それでいいんじゃないかなって思う。解散する予定もなし。

二位:自分が変わっていくときに他のメンバーが別のベクトルに向かっていってギクシャクすることはなかったの?

山中:それはなかったですね。多分、真鍋くんは僕と感覚が一緒なんですよね。「最近、こうした方がカッコイイんじゃないの?」って言うと「わかる!」っていうやりとりもあったりするし、シンイチロウくんは「なんでもいいです」って(笑)。好きなメンバーといるからっていう関わり方だから、性格的に揉めない。シンちゃんにしてみれば「山中と真鍋くんといるのがthe pillows」ってだけだから。あいつは多分いい曲を書くだろう、あいつはいいギターを弾くだろう、オレはいいドラムを叩くよっていうだけだと思う。ジャンルとかあまり興味がないっていうか。

二位:期せずしてベストメンバー。

山中:そうですね。だから相当めちゃくちゃなことを言っても全部聞いてくれるんですよ。「今回、ジャケットで女装しようと思ってるんだけど」と言えば「わかった」って。女装もしてくれるし。

大木:老婆になってたこともあったね(笑)。あれはヒデーよ。ピーちゃんとさわおくんなら見れるけどさ。シンちゃんまで(笑)。

山中:でも「なんか山中には考えがあるんだろうから」って(笑)。とにかくthe pillowsに関してはぶつかることは少ないです。

大木:バンドを組む前に、ズレがある人とは組まないよね。オレは、イキナリ最初でズレて、マスヒロ(Dr)とは別れちゃったけどさ。本来は組んだ時点で別れることはないもんだよね。よっぽどだよ。マスヒロはビートルズが嫌いなのに誘っちゃったから。ドラムの職人さんだったからね。マスヒロは。

――フーバーオーバーは結構メンバーチェンジが多いですよね。

岩沢:そうですね。今は本当に最高のメンバーですね。

二位:メンバーチェンジのとき、へこたれなかったの?

岩沢:いや、もう。へこたれました。でも出してない、作った曲を出したいっていうのが一番大きかったですね。この曲を出さなければ辞められないっていつも思いますね。

山中:あぁ、わかる。オレもいつも新曲が出来てデモテープも録ってない段階のときって「もしも今、死んだらどうしよう」って思いますから。

大木:え〜〜〜〜っ!?

山中:せめてこのいい曲を録ってから死にたい。そしたらバッドミュージックは"レアテイク"とか言って出すんだろうなぁ…とか。でもデモだけでも録っておけば、オレの音源だけ残して録り直すんだろうなぁ…とか。ピーちゃんがちゃんとやってくれたらいいなぁ…とか考えますね(笑)。

二位:死んで困るのはどういう状態の曲?

山中:自分ひとりの中で作ってある曲で、メンバーに聴かせたとしてもまだ録音はしていない状態。脳みそにしかない時も多くて。記憶をちゃんとレコーディングしないと形に残らないじゃないですか。歌詞だけではリリースしようもないし。だからいつも「今、死んだらマズい!」って思うんですよ。

古市:忘れないの?

山中:個所、個所のメモは簡易レコーダーに一応あるんですけど、他人が見ても解読がわかりづらいんですよね。

古市:へぇ〜。オレさあ、たまに夢の中で見る。フレーズとか曲順とか。ライブで2曲目と3曲目をこうしよう、とか。それで憶えてるときにスタジオでやってみるとよかったりするんだよね。

大木:へぇ〜。みなさん、すごい(笑)。オレはもう、力技。確かにバンド始めて10年目まではストックを使いきろうというような気持ちでいたけど、今、やっているのは"その日に出来ることをやろう"ってなってるから。あまり「もったいない」とかもなくて、結果オーライにはなってるけどね。1曲に時間を掛けるのをやめちゃったのはある。宅録なんてやったことないし。ラジカセとぞうさんギターを持って、夜中に荒川とかで。いきあたりばったりはあるなぁ。20年もやってると。でもトモ(TOMOVSKY/双子の弟)はちゃんと作ってるんだよ、今も。しかも全部宅録でニューアルバム作るとか。本当に自由になったよね。みんな、宅録でそのまま録って出すもんね。家でミックスもするしね。その方が安いしね。街のレコーディングスタジオなんて潰れちゃうよね。

――音楽を作る形も変わってくるんですね。

古市:変わりますよ〜。そりゃあ。

山中:実は僕、フーバーオーバーはどこかでCDを頂いた気がするんですけど。

岩沢:新宿ロフトで髭の打ち上げのときに。

山中:そうか、そうか。

岩沢:憶えていてくださってたんですね。

二位:さわおくんは、もらったCDはすごく聴いてるんだよ。ほとんど聴いてるで
しょ?


山中:愛聴しているかは別にして(笑)。聴くのは100%聴きますね。

二位:若いバンドのコから「さわおさんに渡したら聴いてもらえてたんですよ」ってよく聞く。

山中:そのせいでね。よくもらいますね。

大木:1回聴いて、その後だよね。10秒ずつ聴いて飛ばしていって、最後は捨てちゃうのだってあるんじゃない?

山中:もちろん。残念ながら。(一同爆笑)

――音楽を作るスタイルも違う新たな世代との交流というと、やはり自身のレー
ベルやイベントをオーガナイズするさわおさんが最も多いんじゃないかと思うので
すが。


山中:交流するとか育てるってことよりも、好きなんですよね。他人に興味があるんです。まぁ、若いバンドって言っても、僕が関わっているようなバンドは単純に好きなバンドで。ただファン。でもレコーディングのスタジオでの作業とかに関しては、音源を聴いて、オレが関わったらもっと低予算でもっとクオリティの高いものを作れるよってことを教えたくなっちゃうし、そのいい音源を聴きたい。だからそういうことなんだよね。

――イベントは「いいお酒を飲みたい」?それともみんなに「このバンドを見てくれ!」って感じですか?

山中:いや。そういうものよりも、普通に自分の好きなバンドと対バンしたいっていう感じ。カッコイイな、一緒にやりたいなっていうのを、札幌にいたときに好きなバンドと対バンしていたみたいにやりたいなっていうだけですね。

――ザ・コレクターズはどうですか?

古市:自分たちから関わっていこうというのはないですね。声を掛けてもらったら「どうも」って話に乗っていく感じはあるけど。あまり詳しくないですよね。バンドに。それに今、レコードショップのJ−POPコーナーとか行くと本当にガッカリするから一切行かないし。

――ガッカリ?

古市:僕の年齢だと高校生くらいの頃に、これからロックが根付いて、日本の音楽シーンも変わってくるんじゃないかっていう夢に溢れてたんだよね。それなりにめんたいロックが出てきたりもしたけど、結局いつまで経っても日本はフォークの世界になっちゃうんだよね。ロックの殻をつけたフォークだったりする。それが淋しくなっちゃうんだ。その中に良質なものが混じってるってこともわかってるんだけど、それでも自分が落ち込みたくないからシャットアウトしちゃうんだね。情報を。それはよくないことだとは思うんだけどね。

二位:それにしても良く知ってるなと思いますけどね。「このバンド知ってます? どうですか?」って聞くとちゃんと反応ありますからね。

古市:ライブハウスシーンは知ってるかもしれないな。

――ハルさんは?

大木:オレもコータローさんと一緒。あまり聴かないし、見ないようにしてる。あえてレコード屋さんとか行かないもん。さわおくんの貪欲魂は素晴らしいなと思うよ。

古市:これはタイプだよ。さわおはどこかにプロデューサーっぽいところがあるんだよ。

山中:いや。僕は珍しいんだと思う。

古市:普通は自分のことで手いっぱいだしね。

山中:周りにもいないし。珍しいと思います。

二位:でもそれはライブハウスにとってもすごく重要で嬉しいことなんだよね。繋がるっていうのを、こちらがいくら言って
もどうにも繋がらないものもバンドの人から言ってくれれば、繋がったりするじゃないですか。


古市:それはあるだろうね。そういうバンドと自分から積極的に交流はしてないけど、ただ街中でギターケース背負って歩いてるヤツを見るとカワイイなって思うよ。心の中で「頑張れよ」って言うよね。

山中:それは本当に思います。もうロックとか廃れるんじゃないかなって思ったんですよ。みんな一時期、とりあえずCDを掛ければDJって言える、ちゃんとしたDJではないものが流行ったり、ヒップホップが流行ったりもして「ギターとか古いのかなぁ」って感じたこともあったんですけど、それでもいまだにギターケースを背負ってる子を見ると「頑張れ!」って思いますよね。まだみんなギターとか好きなんだなって思って嬉しくなるんですよね。

古市:なるよね。

――そんな若いギター少年と、キャリアを重ねたミュージシャンとを対バンで繋げてきたQueですが、意外性のある対バンも多いですよね。

二位:してきましたね。これからもどんどんやっていきたいですね。まず、下北沢屋根裏の店長だった頃は、バンドがみんな一番荒れていた時代だったこともあって「喧嘩をしない組み合わせを考えよう」としていたんですね、音楽性云々よりも喧嘩しないだろうって(笑)。それがだんだん「仲良くなってくれるんじゃないか」とか「もしかしたらセッションできるんじゃないか」とか「影響しあえるんじゃないか」とかって、そういう組み合わせが出来たらいいなって思うようになっていったのはあるかな。

――最後にそんなQueへ、みなさんを代表して古市コータローさんからお言葉を頂きたいと思います。

古市:好きだ、好きだ、好きだーーー♪

二位:そんなのやめましょうよ〜(笑)。

古市:オレにとっては本当に居心地のいい場所だよ。これからもよろしくねってことだね。

二位:ありがとうございます!


撮影協力:オリエンタルダイニングはん
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