―:POLYSICSのCLUB Que初出演が98年の1月8日" MOVING PARTS S.O.S"というイベントとなっていますね。

ハヤシ:これが一番最初かあ。4月17日にショボーレ(ネモト・ド・ショボーレ[ex.CLUB Queスタッフ、DECKRECレーベルオーナー])のイベントに出たのよ。それが初Queの印象だったんだよな。1月8日ももちろんすごい覚えてるんですけど、4月17日のQueはこれがね、色々あったんですよ(笑) まずは1月8日が初Queでしたね。もともとQueにはお客さんとして観に来ていて、いつか自分もここで演りたいなと思っていて、高校生の頃かな、僕が音楽やるきっかけになったFourteen Chordsというモッズバンドがいまして、そのバンドのライブを観に行ったのが最初ですね。

―:最初はお客さんとしてQueに来ていたんですね。

ハヤシ:そうですね。そこからは結構行ってましたね。今思い出したんですけど、そのFourteen Chordsで、一回何故かギターとしてQueのステージに立ってるんですよ。

―:「ステージ上がりなよ」みたいな感じですか?

ハヤシ:いや、渋谷クアトロで"UNDER FLOWER NIGHT"があって、そのアフターパーティーみたいなのがQueであって、全バンドがカバーをやるっていうので、僕がギターで参加したんですよね。そこでQueのステージ立っちゃたんです。

―:実はそこが初Queのステージなんですね。

ハヤシ:ある意味初なんです(笑) で、自身のバンドでも早くQueに出たいなあっていうのがありましたね。それで、当時SPOOZY COLONE(現SPOOZYS)の松江さんと出会って、「自分たちと近いマインド、トンガったバンド入れて企画やりたいから出てよ」って言われて、「はい、出ます」って言って。それが初Queですね。嬉しかったですよ。

―:このイベントはこの後も続くものになっていて、イベントの度に出演されてますね。

ハヤシ:そうですね。でも、その初Queの日が大雪で(笑)

―:えー(笑)

ハヤシ:お客さんが来られないくらいの大雪だったんですよ。ソールドアウトしていたのに、全然お客さんが来られなかったんですよね。正しい数はわかんないんですけど。「あらー?」みたいな。

―:着券が悪いみたいな。

ハヤシ:そう(笑) その日の1曲目が、こういうイベントだから自分の好きな色、NEW WAVE色を出していいんだろうなと思って、僕とサコ(Poly-2)とロープでグルグル巻きになりながらDEVOの「サティスファクション」を歌いましたね。最初のステージで(笑)

―:初Queにしてチャレンジャーですね(笑)

ハヤシ:あははは、そうですね、ぴょんぴょん跳ねながら(笑)。で、このイベントの2回目が同じラインナップでやってるんですよね。雪で来られなかった人のために。

―:振替公演みたいな意味合いですね。

ハヤシ:そうです。で、その間に4月17日のイベントがあるんですけど、1月8日のライブをショボーレが観に来てくれてて、「いいねー」ってなってイベントに呼んでくれたんですよ。下北でとにかく活動したかったんで、「もう是非!」って感じでしたね。

―:最初にQueに出演してからもうリアクションがあって、次にはイベントに呼ばれてっていう流れなんですね。

ハヤシ:ロープグルグル巻きの時は正直リアクションは良くなかったですけど(笑) ショボーレが呼んでくれたんですよね。でも、ちょうどその時はPOLYSICS内が結構変わってきている時で、1月8日の時はまだ打ち込みでやってたんですよ。

―:この時期は結成して間もない感じですかね?

ハヤシ:そうです。結成が97年の3月4日になるので。だからちょっとしか経っていないですね。この時は結構大変で、キーボードのメンバーがコロコロ変わって、ライブ決まっているのにやめちゃったりして、毎回固定メンバーで出来なかったんですよね。4月17日も初代ドラマーのスガイっちを入れた初ライブだったんです。

―:スガイさんが新しく加入したこともあってこの日の印象が強かったんですね。

ハヤシ:そうですね。結構不安でいっぱいだったっていうのを覚えてるんですけど、この日のライブで後にマネージャーになる増本さんと会って、増本さんが次の4月26日のライブに遠藤さん(UKP社長)を呼んだりとか、pre-schoolを呼んだりしてくれた。

―:バンドがライブ活動をしていく流れと並行して、いろんな人と出会って繋がっていくっていうタイミングでもあったんですね。

―:では99年に入りましょう。3月にワンマンがあります。

ハヤシ:これはもう、それまでワンマンをしたことなかったので。

―:ここが初ワンマンですか!?

ハヤシ:初ワンマンです。当時は本当に曲がなかったんだけど、「ワンマンをやろう」ってなって、僕も演りたいっていうのもあったんですけど、持ち曲全部やっても、ライブ自体40分くらいで終わっちゃう。でもそれでいいかな、それでいいんだよ。そうだよな!みたいな感じで(笑) まあ、もちろんお客さんも帰らず、ステージに「もう終わりです」って言いに出て行ったっていう(笑) アンコールも無く。アンコールはしばらくやんないんじゃないかな。

―:それは最初からやらないって決めてたんですか?

ハヤシ:そうです。アンコールが好きじゃなかったんですよ(笑)当時は。用意されてるのがイヤで。本当にお客さんが帰らないで演るアンコールならいいんですけど、決められたアンコールっていうのが「2回!」とかね。当時の僕にとっては「ロックじゃない!」みたいな(笑) そうゆうのがあったんですよね。しばらく演んなかったんじゃないかな。

―:次に2000年なんですが。

ハヤシ:99年のフジロック以降はライブ、初ツアーにも出てたし、イベントも出まくってた。
2000年もとにかくやってましたね。


―:Que的には出演2回とちょっと寂しい感じですね。

ハヤシ:そうですねえ。でも飲みにはしょっちゅう来てました(笑)

―:01年には"CLUB EPOCH!"が始まってますね。

ハヤシ:この年かぁ。なんか面白いことをやろうっていうのがあって、POLYSICSなりのクラブイベントを
企画したんですよね。この時からもう「トイス」は言っていたと思うんだよね(笑)。
この時は緑色のジャケットの新衣装でライブしたんだよな。
"EPOCH!"はむちゃくちゃ楽しかったですよ。もっとやっていきたいってなりましたね。


―:半年後にはもう2回目が。

ハヤシ:とにかくね、訳わかんないグルーヴが生まれるんですよ。お客さんとなんでこんなことでひとつに
なってるんだろうって。武田鉄矢とか(笑) 未だにやっているユニコーンのカラオケとかでめっちゃくっちゃ
盛り上がるんですよ。よくわかんないなあこのパワーみたいな。冷静に考えるとわかんないんですけど、
その時はひとつになるんですよね。この感じはすごく独特だなあ、バカなんですけど(笑)
ライブ並に汗もかきます。これもだんだん恒例になっていきますね。





―:では02年に移りましょう。

ハヤシ:あー、THE LO-BITSツアーワンマンありましたね。この日1日通しをやるんですよ。ライブの時間と夜中の"EPOCH!"と。しかもライブの内容を変えるんですよ。普通の時間帯はLO-BITSの内容で、深夜の"EPOCH!"はカヨ曲しかやんないってライブだったんです。

―:縛りありのライブで。

ハヤシ:そう。カヨの歌う曲を全部やるっていう。立ち位置も変えてカヨをセンターにしてね。だから僕がカヨの代わりにオケのポン出しをするんですよ。練習では冷静に出来るんですけど、ライブ中めちゃくちゃ暴れた後に音止めるのが本当に大変で、ゼーゼー言いながら止めてて(笑) 面白かったですね。ちなみにSEがGOING STEADYの「佳代」って曲で(笑)

―:(笑) 徹底してますねー。それでは03年に参りましょう。

ハヤシ:この時の4月26日の"EPOCH!"はすごい覚えてます。スガイっちが東京最後のライブで。
ライブの時はしんみりって感じにもなったんだけど、相変わらず"EPOCH!"なのでDJでは最後の
最後までバカを徹底してましたね(笑)とても楽しかったですよ。10月9日のライブでは
イシマル君(SNAIL RAMP)にドラムをお願いしましたね。アメリカから帰ってきてすぐとか
じゃなかったかな。


―:すごい飛距離ですね。

ハヤシ:ははは(笑) そんなだったんですよ。

―:国内もあり、海外もありという活動だったんですね。

ハヤシ:そうですね。このあたりから海外の活動も多くなったので。

―:そして04年ですね。今回の企画のハイライトと言っても過言ではない"7DAYS TO DIE!!!!"が 5月30日から6月5日までありましたね。

ハヤシ:これはもう、……大変でしたね。イシマル君とのリハがあるんですけど、イシマルくんはサポートで途中から入ってきているので、知らない曲がいっぱいあるんですよ。この時は「1st P」から歴代のアルバムの曲をほぼ全部演るっていうのがテーマだったので、本当大変だったと思いますよ。毎日リハやってたし。30曲くらい入ったCD-R渡すのが本当に、…つらくてね(笑) それでも大変なのに、7DAYSの最終日にヤノの初ライブなんですよ。ヤノとのバンド感っていうのも鍛えなきゃいけないっていうのもあったんで、もう、7DAYSのリハとヤノとのリハと、まったく違うベクトルで毎日練習入るっていうのはね、結構大変でしたね。

―:7日間Queにいるっていうのはどんな感じなんですか?

ハヤシ:「FOR YOUNG ELECTRIC POP」(5日目)くらいからトランス状態になってくるんですよ。階段降りてる時とかQueのあの匂いを嗅ぐ度に、「今日もまた来てるんだ」って。で、初日に全衣装をQueに積み込むわけですよ(笑) それももうすっごい量で。

―:楽屋とかすごそうですね。

ハヤシ:すごかったですよ。でもそれ以上にその日その日で仕込みも違うメニューでやってたんで大変だったんですけど、楽しいっていうのが僕にはありましたね。うん。アルバムのテーマのMCをしたりね。結構あっという間に終わっちゃった感じがしましたね。もちろん「1st P」の時の日は40分くらいで終わっちゃって(笑)

―:ライブ自体の再現性も当時を引き継いでますね(笑)

ハヤシ:初日は特に(笑)その時はアンコールもやって。アンコールは結構長くやったんですよ。

―:7DAYSをやるにあたって、なぜQueだったんですか?

ハヤシ:もうやるならQueしかないでしょう。POLYSICSのホームグラウンド的な場所でもあるし、
やっぱ、いろんなきっかけになった場所だしね。


―:最終日はまたまたライブとオールナイトと通しイベントとなっていますね。

ハヤシ:この"EPOCH!"はマジで半分溶けてましたね。脳が。

―:ははは(笑)

ハヤシ:停止してました。もー、帰っちゃおうかなって。

―:ははは(笑) ハヤシさんらしからぬ発言ですね。

―:ヤノさん加入を経て、次の年05年に入ります。

ハヤシ:ワールドツアーしてる時だ。で、MUFASと対バンした時、久々に元pre-schoolの
バクちゃんとECOちゃんに会ってね、すっごい呑んだ記憶がある(笑) 楽しかったなー。


―:06年はQueはDJ出演のみということですが。

ハヤシ:あれ、Zher the ZOOでやったんじゃなかったっけ。だからなんか演った気でいる(笑)

―:続きまして07年です。

ハヤシ:「KARATE HOUSE」のライブはかなり覚えてますね。「ワトソン」っていう曲で
登場するんですけど、「ワトソン」のオケはこの日だけの仕様なんですよね。ツアーでの
シーケンスと変えてて、CLUB Que仕様にしてるんですよ。ツアーでは一人一人、ヤノから
入ってフミ、カヨって順番で音が重なって出てくるんですけど、Queの時は4人一緒に出てくる
出囃子でしたね。ミクシィでお客さんに「あなたの好きなPOLYSICSの曲は何ですか?」って
投票してもらって、その上位10曲を演るっていう企画をやりましたね。


―:セットリストをお客さんに委ねたんですね。

ハヤシ:そう。これやって思ったんですけど、ベスト・オブ・選曲は疲れますね(笑)
当たり前なんだけどみんな激しいの好きじゃない?流れ関係ないんですよ(笑)
「10位から6位までいってみよう!」ってやったら全部早い曲で、「5位から3位まで」ってまた早いみたいな。しかも、1位が「I My Me Mine」で終わり方が超締まんないっていう(笑) それで、アンコールに一番投票の少なかった曲「1 & I」と11位の曲「Electric Surfin' Go Go」をやって終わったんですよ。


―:08年はまたQueの出演がなかったんですよ。

ハヤシ:へー、そっかー。でも、09年には出てるんですよね。

―:はい。Que15周年SEASON3のトップバッターとして出演がありました。

ハヤシ:ついこの間の話なんですね。去年か。最新アルバムの曲を全部やるっていうね。

―:アルバム完全再生ライブでしたね。

ハヤシ:曲順通りでね。これよかったですよ。アルバム全曲演れて、しかも盛り上がって。
「KARATE HOUSE」も同じ趣旨で演ったんですけど、全然質感が違うって思いましたね。
そうだ、この時に武道館で演るっていう告知をしたんですよ。


―:この年の年末はオールナイトで再び"EPOCH!"が。そしてオールナイト前の
時間帯ではZher the ZOOでライブをしているという。


ハヤシ:そうです。この日も1日通しでね。

―:しかもライブハウスをまたぐっていう。

ハヤシ:そうですねー。"EPOCH!"終わった瞬間Queのステージで寝てしまおうかっていう(笑) 結構1日2回ライブっていうのはかなりハードで、ヤノがシンセスタンド片付けるときに足がよろけてコケるのね(笑)「おい、大丈夫かよ、まだあるぞ」みたいな(笑) で、この時のライブが通常のライブじゃなくて。

―:iPodのシャッフル機能使ったやつですね。

ハヤシ:「POLYSICSシャホー」やったんすよ。これもまた自分たちにムチ打ってですね(笑)

―:機械に進行を任せるという。

ハヤシ:そうですねー。でもシャッフルをいつかやりたかったんですよ。2000年にMDを導入して、「シャッフル機能ってあるんだ、これでライブしてーなあ」ってのがずーっとあってようやく出来たんすよ。iPodにオケを入れといて。また演奏がすぐ始まるような曲を敢えて用意して「こっちの方が絶対面白い!」って。本当面白かったですね。これはまた演りたいね。

―:この日のセットは「実は用意してたんじゃないの?」っていうくらい素敵なリストになってたって聞きましたけど。

ハヤシ:途中結構「大丈夫かなあ?」って思ったんですけど「Modern」とか久々演るレア度の高い曲が、Zher the ZOOとかぶって2回やることになったり(笑) 最後「Bero Bero」っていう「I My Me Mine」以上に締まらない曲で終わるっていう笑いの神が降りてましたね。あと、ノブ(the telephones)がねDJで出るっていう。いいねー、正に"EPOCH!"の空気感バッチリだなーって。ヤノのDJもすごかったですね。違った意味で(笑)

―:そして、2010年CLUB Que開店記念日の10月1日にPOLYSICSワンマンが決定しました。

ハヤシ:今からすごい楽しみですね。とにかく早くこの新しいPOLYSICSでQueで演りたいっていうのがあったんで嬉しいですよ。だからそれに向けて今から何しようかなって考えています。新体制になってからのPOLYSICS初ワンマンをQueで出来るっていうのはむちゃくちゃ光栄だし、しかも開店記念日だし、いやー本当にありがたいです。今から面白いこと考えてますよ。

―:Queの出演の50回目が新体制になっての初ワンマン、Queの誕生日、色々重なっていますね。

ハヤシ:ねー。それはすごい。MCで言おう(笑)そうゆう偶然ってあるんですね。

―:単純に回数の話というよりは、バンドの歴史、いろんな人との繋がりの積み重ねが今に繋がるっていうのは今お話を聞いていて思いました。

ハヤシ:僕も思いましたね。でもどのライブも覚えてますね。うん。それ以外にも打ち上げのことだったり(笑)とか、友達のライブとか色々含めると思い出いっぱいですね。ライブで来た以上にQue来てますし。

―:最初はお客さんとして来ていたって部分を含めればもう、13、14年の付き合いになるんですかね?

ハヤシ:そうですねえ。

―:二位店長の最初の印象っていうのは?

ハヤシ:1回目の出演の時は会ってなくて、2回目のライブの精算の時に「面白いねー」みたいなことを言われた気がしますね。確か。「ライブハウスの店長」って感じがしましたね(笑) ライブハウスって怒られるイメージしかなかったんですよ。毎回。でもそんな感じじゃなかったですね。「またよろしくー」みたいな感じで言ってくれたんですよね。僕はその時下北で活動することを目標としていて、でも自分の音楽が下北に合っているかどうかなんていうのは全く考えてなくて、いろんな場所で色んな企画に出来るだけ出てたんですよね。どこかにチャンスが転がってるかもしれないから。そんな中で下北沢っていうのは自分もよく行ってたし、ライブハウスもミュージシャンも多いし、レーベルも多いと思うから、なんかのチャンスになると思ってQueに出たかったんですよね。だから二位さんが言ってくれたことは自信になったけど、なんか浮かれもせず、またQueに出れればいいなって思っていました。

―:現在まで付き合いが続くわけですが。

ハヤシ:打ち上げとか新年会とかにも99年くらいから行ってると思うんですけど、もう普通に呑んだりしてましたね。 面白い人だなって(笑)

―:面白い人って印象だったんですね(笑)

ハヤシ:そうでしたね(笑) あんまり恐い印象とかはなかったですね。嫌な印象もなく、楽しく呑んでいましたね。

―:98~99年の出演はバンドにとって種まきじゃないですけど、そうゆう時期ともいえるんですかね?色んな人に出会ったりとか、のちのち何かに繋がっていくというような意味合いと言いますか。

ハヤシ:いや、本当にそうだと思いますよ。うん。それでDECKRECってレーベルが出来たし、あとマネージメントもしてもらえるようになったし。CDも出せてね。あときっかけというと"ONO SOUL"ってpre-school主催のイベントが当時は新宿のリキッドルームであったんですけど、勢いあるバンドが10バンドくらい出るようなイベントで、それのオープニングで出ませんかって言われたんですよ。Queの次にリキッドで演るって目標だったから「やります」って。それからはお客さんも増えて。それのきっかけになったのがQueのライブだったんです。

―:ハヤシさんがおっしゃっていた「どこかにチャンスが転がっている」っていうのがそのまま体現された話ですね。

ハヤシ:そうですね。今振り返るとですけどね。当時はめちゃくちゃいっぱいいっぱいでしたけどね。あとQueはライブしやすいっていうのがあるんですよ。中音の聞こえ方がすごい独特って言うかね。うまく言えないんだよなあ。でもそれはバンド感が固まってきてから感じるようになってきたんですよ。みんな「Queって演りやすいよね」って言うんです。うーん、でもすぐにあの音になった気がしないんですよね。最初出来てから10年以上掛けてあそこでものすごいライブとお客さんとの熱気と、色んなものが合わさってあのQueの鳴りができたと思うんですよ。そうゆうものをステージ上がって演ってるとすごい感じるんですよね。アンプ鳴らした瞬間に音が出来上がっちゃう感じがあって。

―:それがQueの特徴だと。

ハヤシ:うん。それは思うんですよね、いつも。だからリハが本当すぐに終わるんですよ。音がすぐに決まっちゃう。あとは演るだけっていう(笑) ライブ中もお客さんの熱気がすごくて、天井からぽたぽた結露した水滴が落ちる感じがあるんですけど、あの感じも嫌いじゃないんですよね(笑) 嫌な蒸し風呂感がないっていうね。心地よいサウナみたいな。頭真っ白になりながらも気持ちいいなあって思いながらライブ演ってるっていう。だから毎回楽しいし、内容もいいですね。で、今回この3人で鳴らすとどんな感じでなるんだろうなっていうのがすごい楽しみです。

―:Queのサウンドシステムを手がけた古川さん(QuePAスタッフ)を始め、スタッフとしてすごく嬉しい言葉ですね。

ハヤシ:それはそうですよ(笑)

―:では最後にPOLYSICSにとって、ハヤシさんにとって、CLUB Queというライブハウスはどういった存在ですか?

ハヤシ:POLYSICSにとってQueっていうのは何度も言っていますけど
「ホーム」みたいなもので、ライブする度に今の自分達をもう一度再認識
したり、もう一回見直すことが出来たりもする。こんなにいっぱいおんなじ
場所に出続けていることもないし、自分達にとって特別な場所でありますね。
思い入れもあるし。やっぱメンバーみんなQueが好きなんですよね。
15周年のライブの時にも言ったんですけど、色んな所でライブ演ってるけど
やっぱ世界で一番好きなライブハウスですね。それはフミもヤノも思ってる
ことで。だから、毎回周年のイベントに呼んでもらって嬉しいし、出演できるの
も嬉しいし、本当そう思いますね。僕的にはもう一番最初のライブで縄で
縛られながらってのがあったんですけど(笑) 最初にやった時から緊張感は
変わらないんですよ。それはギター背負って最初の階段下りてってたとき
から始まってて。で、みんな知り合いじゃないですか、
中村さん(QuePAスタッフ)だったり、スタッフの人みんな。そうゆうのもあって帰ってきたなあって感じもするしね。ここでいいライブしなきゃ駄目だぞって自分で思ってて。でも適度な緊張感と適度なリラックスした感じとがあって、イベントでもワンマンでも初めてステージ立った時とおんなじ気持ちで演れてるんですよね、Queは。マジで。自分にとっても特別な場所だなあっていうのがあって、きっと10月1日のライブもいいライブになるんだろうなあみたいなことを今から思っていますね。そんな場所って他には無いよなって。ずっと出続けたいライブハウスですね。
 

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