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騒音寺
なべ(vo)/おか(g)/たむ(g)/コウヘイ(b)/サウザー(dr)
» http://www.so-on-g.com/
結成は1994年。それ以前なべは4ピースのロックバンドで3-4年ほどギターを弾いていた。当初は「東天紅(長鳴き鳥の意)」と名乗っていた時期もあったが、その後京都にあったロック・バーの閉店に伴ないその名前を頂戴したのが騒音寺としての始まり。当時は、カタカナ、英語のバンドが異常に多かったが、日本語でロックをやる以上バンド名も日本語でというこだわりがあり、この名前はまさにジャストフィットだったのだ。今も京都を核に活動を続けるが、そこには新旧和洋折衷。ゆるやかという面白みがあり、東京にはない文化とともに彼らのイメージを増幅させている要素があるように思える。彼らにとっての東京のイメージは「一度は住みたい。メンバーは阿佐ヶ谷がお気に入りで、ハングリー精神はすべて東京のバンドから教わった。京都だけでやっとったら絶対気づかない事すべて東京のバンドマンたちが教えてくれた」とまで言うのだが、その東京のバンドというのはおそらく地方出身のバンドマンだろう。今までに気になったタイバンはと聞くと「ハウリン・ハチマを初めて見た時は強烈だった。最近では怒髪天。楽屋からステージまで、すべてに圧倒されたのはARB。「東京」のイメージに一番ぴったりくるビートは俺はプライヴェーツやな」頷ける回答だ。ライヴの逸話として「むかし100円もって東京行った。ドラムセットの脇に500円玉落ちとった。気になって歌えへん。気づかれんようにいつものジャンプするふりして拾ったら最高のステージになった」そんなアクティブでポジティブで笑い事も忘れない騒音寺だが、バンドをやっていて困ることもあると、それはただ一言「ロックはもうからん!」なべが生まれ育った名古屋から京都に移住したばかりの頃には、まだまだドラッグカルチャーの申し子みたいな人らやヒッピーがうようよしていたらしい。「それに混ざって活動とったから、そういう匂いが自然と身体に染み付いているかもしれない。ただそんなん今は流行らんやろ?それにロックのリズムはポジティブじゃなけりゃだめという信念もあるから自然とこうなった。でも、これからまた変わると思うけど」そのイメージが、僕らには凄くセンセーショナルで新しいと勝手におもえてくるのだが、彼は決して新しいことじゃないし、意識的な事でもないと言う。「歌手がいてバンドがそれを支える、騒音寺は昔ながらの基本の方法論を当たり前にとっているだけ。今のほとんどのバンドは、音もでかすぎて歌も聴き取れないし、エキセントリックな方向に考え過ぎだから、俺たちとしてはやりやすいね」話は変わるがマネージャーしのやん(SS~コンチネンタル・キッズ)もかなり気になる存在である。「ボ・ガンボス以降、京都でロックに食いつくのはあの人しかおらん。音楽性も深いし、何よりも騒音寺の音楽性を理解してくれている。右も左もわからんかった俺らをよくここまで先導してくれたもんや」というくらい二人三脚でやってきた。メンバーに感謝されるマネージャーと言うのも、随分少なくなってしまったような気がする。最近リリースされる音源としては、アレンジや音色どこをとっても数段上の工夫が見られる。見せかけの音質と人肌のある音質の違いと言うか、真に完成度の高いCDを出しているように思える彼らだが、曲作りやレコーディングにはどんな気配りがあるのだろう。「できあがった時に歌がはっきり聞き取れること。楽器それぞれの音が相応の音をしているか。本格的なスタジオで録音しているわけではないので、音の回りを防ぐことにも絶えず苦労する。アレンジに関しては、まずはギターのたむにコードや曲の雰囲気を伝える。リフがあればリフも。スタジオで合わせてみたものを各自録音して、家で各々アレンジしてくる。それの繰り返し」そして騒音寺とは…「日本にこんなバンドがあればいいと思って作ったバンド、俺が一客だったら一発でファンになっただろうバンド、正統なのに異端視されて、いつからか目張りをいれてしまったバンド、これが騒音寺なんですよ。是非一度QUEでのライブ、足を運んで下さい。これがロックやで-!」
2006/6/18(SUN)
" 騒音寺 対 ザ・ヤング 3時間1本勝負! "
騒音寺/ザ・ヤング

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