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怒髪天
メンバー(写真左から)
増子直純(Vo) 生年月日:1966.4.23 出身地:北海道札幌市 血液型:A
清水泰而(B) 生年月日:1968.5.4 出身地:北海道千歳市 血液型:O
坂詰克彦(Dr) 生年月日:1966.8.18 出身地:北海道幌加内町 血液型:O
上原子友康(G) 生年月日:1967.2.26 出身地:北海道留萌市 血液型:A
» http://www.dohatsuten.jp/
今月はCLUB Queという前に個人的に切っても切れない縁深いバンド怒髪天の紹介です。なのでいつもとは指向を変えて個人的目線で書きますよ。CLUB Queが開店したのが94年10月。その月の15日に早くも登場しながら、96年から約3年間の沈黙。その間、増子は実践販売をやり日本中を行脚。本人いわく人生で一番収入が安定していた時期。99年に清水の呼びかけで再結成するが、その時は今の状況は想像もできずに、2ヶ月に1度くらいのライヴが出来ればいいと思っていたらしい。それでも最初のライヴに選んでくれたのはCLUB Que。99年6月24日に待望の復活。対バンはハックルベリーフィンとVESSE。この組み合わせは以外かもしれないけど、怒髪天のそれまでのイメージは今よりもっと、アンダーグラウンドで男くさく攻撃的だったんだけど(現に92年頃は長髪、ジャージ、雪駄、数珠というスタイル)それよりも音楽性の高さと、迷える女子にもヒットするであろう「兄き肌」をアピールしたいが故のブッキングマンのエゴだったのだが、メンバーはよく思ってなかったかも(笑)。その後ビバヤングを経てディスカバリージャパンをマーブルダイヤモンドの倉山と自分の3人で発足させる。印象的だったのは坂さんの弾き語り「TELEZUME」。サブステージで一人延々とやるその恍惚感は他に類のない「インドの山奥の修行僧を発見した」ような気分でした。出会いから一貫して程よい関係を続けてきたのが、2003年あるきっかけを発端に映画制作に取り掛かるのだが、もう脇目も振らずに一心に増子に主演を依頼。快く引き受けてくれた以上に、上原子以下のメンバーが上田ケンジとのコラボでサウンドトラックを担当してくれた。勿論出来は最高。感覚的には伝説とかじゃなく、この世界の文化財産が完成した感じだった。その後ジョーストラマーの追悼イヴェントや66NITEと重要かつお馬鹿なイヴェントには必ず出席してくれているし。氣志團の綾小路と周った下北めぐり(7周年パンフの特集記事用)では、偶然ばったり出会ったイキオイで倉山邸に行きTVゲーム合戦。増子君さすがオールマイティーに上手でした。とまあ音楽以外のことがあまりも多く語られる怒髪天ですが、音楽のレベルの高さも日本屈指ということで誰にも否定させません。プラス・パフォーマンスも凄いから色んな目線で楽しめるんだけどね。他人に出来る事は自分には出来ないと思う謙虚さが個性を生み、やるからには粘り続けながらも絶頂に楽しむという姿勢がこのバンドを唯一無比のものに仕上げている。もちろんその中心に増子がいるわけだけど、見逃してはいけないのは楽器が全員上手いこと。普段を見る限りお世辞にも出来そうな気配はなし。ひたすら呑んべ~。だけど楽器を持った瞬間の職人芸はトップレベル。20年間ライブハウスにいて自信をもって言えるトップクラスのバンド。クオリティもそうだが増子の個性を軸として様々な楽曲をアプローチする上原子の才能は玉手箱級。そここそナメテはあきません!ニューアルバム「LIFE BOWL」もその辺りをしかと聴くように。そういうわけで今回は副店長に就任して間もない西島ショウジの直撃、増子直純インタビューをたっぷりと載せていますので是非賞味してください!

» 増子直純スペシャルインタビューへ
2007/10/31(WED)・11/1(THU)
" ディスカバリージャパン 原点カイキ大作戦 "
10/31(WED)
怒髪天/24/7(twenty four seven)/夜のストレンジャーズ/The Fave Raves
DJ>ISHIKAWA(TIGER HOLE)/TARSHI(LONESOME DOVE WOODROWS)

11/1(THU)
24/7(twenty four seven)/怒髪天/騒音寺/BLACK BOTTOM BRASS BAND
DJ>ISHIKAWA(TIGER HOLE)/TARSHI(LONESOME DOVE WOODROWS)

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