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Theピーズ
メンバー:大木温之(Vo,Ba),安孫子義一(Gu),佐藤シンイチロウ(Dr)
» http://www.thepees.com/
Theピーズ
    今も最前線で勢いを見せる彼ら。「ライブはやっと最近良く出来るようになってきた気がするよ。身体と頭が分離し始めてきて。ベース弾きながら何でこんなにうまく唄えるんだろうって。勝手に動くようになって自然と器用にできてるなって。歌が唄えてえているような気がしてきた」今の自分をこのように表現する大木温之。しかもユーモアある言い方で。「ボケ始めてきた」とか普通年齢を重ねた時に感じる不安なんかを、あえてポジティブに話す人なのだ。こだわりが無い中で生まれた個性を魅せる彼の歌詞なのだが、本人曰く歌詞で影響を受けた人はいないと言う。インパクトのある歌詞はまさに彼の世界観からなのか? 「本当にくだらないでしょ。その頃、周りが愛や恋だとかをさえずっていたから、もっと自分の思っていることを言えたらいいかなと。せっかく作ったいいメロディやコードでも、こんなくだらない歌詞を載せてしまえばすごく自由で訴えられるかな。」ってかっこつけないでさらりと言えるものほど難しいのでは?と考えてしまいがちだが、そこには個性と人柄そして無邪気さが出ている。影響を受けたバンドは、洋楽では「The Beatles」、邦楽では「CAROL」 。当時は矢沢永吉の影響でベースが大人気でパートの取り合いだったという。ベースの手本としてよく聴き込んでいたのが「Dr.Feelgood」。ギターのウィルコ・ジョンソンが抜けた後の3枚目か4枚目の作品のベースラインが大好きだと言う。8ビートでベタってしたでかい音が特徴で、聴き込んでは練習をしていたくらいだから、今のベースのスタンスはそこにあるのだろう。パブロック好きならずともご存知だと思うが、イギリス出身の4人組みのロックバンドで70年代初頭からシーンを牽引し、後のパンクロックブームの火付け役となったバンドである。日本でも影響を受けたロックバンドは多数存在する。Theピーズが初めてライブをしたのは、下北沢屋根裏。先輩のライブを見によく下北に遊びに来ていたらしく「練習してるんだろう、ブッキングしたからライブしな!」と、当時知り合ったばかりの屋根裏のPAの人にいきなり言われて初ライブを行ったと言う逸話もあるとのこと。それから、23年が経ち、今でも下北沢でライブを行う。出だしは好調だったが、Drの入れ替わりは激しく9年目にしてアビさんの脱退もあって苦い時期がやってくる。活動停止を決めてからは、調理師免許や運転免許取ったりとしばらく音楽から離れた5年間。有線から流れていた奥田民生を聞いて、音楽は民生に任せてみてもいいと思ったらしい。それでもひょんなことから今の形で活動再開。the pillowsのドラムでもある佐藤シンイチロウがそこから参加するが「その日が来ると思っていた」と予言的な発言があったらしい。それを感じてなのか「バンドは人の繋がりだね」 そしてライブハウスとは「狭いところでデカイ音を聴ける贅沢な場所で楽しいところ」と大木温之は言う。今のTheピーズは、本当に自然体のかっこいいバンドだ。バンドマンのすべてがライブで感じ取れる本当にすごいバンド。そうなのです。活力が出てしまうのですよ、ライブを見ると。音と人をその場で感じてしまうとね。

    CLUB Que HPでは大木温之さんのインタビューを余すことなく掲載します!



    原:今日は宜しくお願いします!雨が降って足元が悪い中ありがとうございます。

    ハル:雨の中、赤羽から傘をさしてやってきました。暇なもので。ついついお酒を買ってきてしまいました。そこの酒屋で。

    二位:えっ、買ってきたの? あら、ありましたのに。

    ハル:この間のベース飲み会があってね。いつも風知空地の酒飲みきっちゃうから、その後にあそこの酒屋(餃子の王将の近く)で酒を買いに行く癖がついちゃて。

    二位:(笑)

    ハル:あそこの酒屋はいいよね。昔の酒屋って感じで。

    二位:酒屋ぐらいは残っているよね。もうほとんど変わってしまったけど。

    ハル:配達の若いあんちゃんと、おばさんとで二人でやっているもんね。

    二位:いきなり話が脱線してきちゃうよ。

    ハル:そういえば、はしご屋(※1)ってまだあるの?
    (※1)カルチャーショックの店。居酒屋の常識を根底から覆す破壊力。ギター、ベースが自由に弾けるというお店。店長がホントいい人。メニューも洗面器サラダとか、思い切った品物があってドキドキのお店。(ネットで調べました)

    原:はしご屋?

    ハル:ワダ楽器(※2)はもう無いよね。
    (※2)ワダ楽器は旧ハイラインレコードのビルの1Fに面した下北沢唯一のいわゆる楽器屋さん。結局みんなピックと弦しか買わないので閉店。

    二位:ワダ楽器はもう無いね。はしご屋って、あのワダ楽器の下のところでしょ。

    ハル:そうそうそう。

    二位:それがねCave-Beになった。

    ハル:あっ、そうか!そうだそうだ。このあいだ行った。

    原:はしご屋ってなんですか?

    ハル、二位:居酒屋。

    原:そこは行きつけだったんですか?

    ハル:そうだね。あとは、ジャンプ亭とかかね?

    二位:当時の下北ではジャンプ亭、はしご屋から頑張ってLOFTに行って、最後せっちゃんってのが王道の流れって感じでしょ。

    ハル:あと、庄屋とね。LOFTは誰かのパーティーの時とかに使ったね。アビさんのパーティーもあそこか。



    原:そろそろ、本題に行かせてもらってもいいでしょうか(笑)? かなり掘り下げて聞いてみたいんですけど、Theピーズの結成はどのような経緯からだったんでしょう?

    ハル:秘話ってほど、秘密も何ももう無いけど。1987年だね。アビさんはトモ(TOMOVSKY)の大学の同じ仲間で、サークルかな。

    二位:ちなみに僕らが出会ったのは85年ですか?…あっ、86年?

    ハル:二位さんは昔バンドをやっていて、そのベースの古川くんが、当時僕がバイトしていたサンチェーンっていうコンビニのバイト仲間でした。

    原:じゃあ、二位さんとはTheピーズと出会う前に、ハルさんと出会っているんですね。

    二位:そう。なぜか出会っちゃってるんだな~。

    ハル:Queが始まる前にね。

    二位:Queどころじゃないよね、下北沢屋根裏もまだ無かったもんね(笑)

    ハル:そうだ。まだTheピーズを始める前。バイトだった深夜のサンチェーンの店内で、夜中に自分で作ったテープを流してましたね。

    原、二位:(笑)

    ハル:宅録(笑)

    二位:その、サンチェーンの道を挟んだはす向かいに、俺の2万3千円のアパートがあったの。

    原:近くに住んでいて、共通の知り合いがいたんですね。

    二位:それで、古川たかし(※3)っていうヤツが俺の家に居候してて。ハル君と同じサンチェーンで働きだしたんだね。
    (※3)CLUB QueのPA古川忠とは別人で、二位徳裕の田舎の仲間で上京後にバンドを組んだ人。インクスティック芝浦でTHE GROOVERSと体バンしたときにジャンプして転んだ。

    ハル:俺もトモもあの頃は若林に住んでた。みんな淡島通り沿いに住んでてね。



    原:アビさんとの出会いは、トモさんの繋がりなんでしたっけ?

    ハル:そう、トモ繋がり。俺はまだ、そのサンチェーンで自分で作った宅録テープを流してて、自分のバンドはまだ組んでいなかった。曲をためている状態。「アナルため息」とか言う変な曲ね、しょうもないロックンロールを作っては、店の有線のチャンネルを消しちゃって、自分のカセットをつないで大音量で流してた。

    二位:コンビニ(バイト先)にテレキャスター持ってきてなかった?

    ハル:そう、作曲してましたね。

    二位、原:(笑)

    ハル:もう暇なんだもん。お客さんが一晩に4人くらいしか来ないような店だったから。でも、レジは楽しかったな。あの頃はまだ指先が器用だった(笑)

    二位、原:(笑)

    原:話を戻しましょう。アビさんと出会い、その当時のドラムのかたとも出会って3人で始めたんですよね?

    ハル:うん。ドラムはマスヒロっていう名前で。マスヒロはアビさんの千葉の高校の頃からのバンド仲間。ちょっとハードロックよりでね。フランク・ザッパとか大好きなドラムだったから。俺とかは、キャロルとかビートルズだから、ちょっと違うなと思ったんだけど、とにかく音がバカでかかった。すぐライブも演りたかったしね。

    原:もう一緒にやろうとすぐ決めたんですね。

    ハル:うん、そうだね。アビさんとは何でもやったよ。もう、ストレイキャッツのコピーバンドもやってたし。そうだ、Theピーズの前に、千葉の仲間とアビさんがギターでストレイキャッツのコピーバンドかなんかを稲毛の海辺でやったこともあったな。それでアビさんは上手いなとは思っていたから、ギターはアビさんでいけそうだったし。マスヒロをアビさんが連れてきて。



    原:もう最初から3ピースでやると決めてたんですか? ハルさんがベースとボーカルを兼任して。

    ハル:うん、そうだね。もともと俺、中学校の頃からベースを弾いていたからね。でも、中学校の時は何でもやっちゃってたかな。コード覚えるのにギターを先輩からもらって弾いてたし。ベースはやっぱり永ちゃんが好きだったからね。ベースは結構取り合いになったね。

    二位:ベースの取り合い?

    ハル:取り合いになったね。やっぱり永ちゃんがヒーローだったから。あと、銀蝿とかってベースが楽じゃん。それもあるかな。わりとベースはね、永ちゃん、キャロルのおかげで当時人気があったんだよね。



    原:3人で始めて演ったライブの印象って覚えていますか?

    ハル:初めての頃とかはもう周りのことなんか見えてもいなかったし、今にして思えばものすごく皆が「ギュー」となってた記憶があるな。もうそれが凄い緊張感になって、今から考えたら「なに力んでんだろ」って思うけど。でも尖がってはいるんだよね。

    原:今まで溜めていたエネルギーを放つみたいな?

    ハル:溜めていたほどの曲があったわけでもないけど、40分くらいのライブが出来るレベルにはなってきたかなと思ってた頃、野沢さん(※4)とか、THE GROOVERSのベースのボブさんとかまだ下北沢屋根裏の店員で照明とかやってた時があってね。でも、何で俺はその当時に下北に居たのかな? それはあれだ、ブルーズっていう奥ちゃんっていう…。
    (※4)当時下北沢屋根裏にいたPA。二位もレコーディング~ライブをブッキングされた経緯がある。その後売れっ子になって大会場のPAも担当する。通称ノザブー。

    二位:エー!奥山さん(※5)のせい?(笑)
    (※5)ブルーズ~LOVE MACHINE。ブルースからレゲエを愛する。本物のアンダーグラウンドミュージシャン。凄いっす。ロックの悪い事を何でも知ってます。

    ハル:そうそう、奥ちゃんのブルーズっていうバンドがあって、そこのギターが大学の先輩なんですよ。それで、ブルーズのライブを見に行く度には下北に出てきて。べろんべろんになっては、ボブさんとか、屋根裏の店員のおじさんとか知り合いになって。それで、酔っ払っているうちに「ハルそろそろバンドやれよ、練習始めたって聞いたぞ」とか野沢さんに言われて。「もうブッキング入れちゃったからな」って。

    一同:爆笑 ハル:それが6月9日だったな。87年の6月9日。

    原:それが下北沢の屋根裏ですか?

    ハル:そう、屋根裏だね。

    二位:1回対バンしたもんね。

    ハル:やったと思う。二位さんギターうまいよ。赤いセミアコだったかな?

    二位:えー、違うよ。ナチュラルのセミアコだった(笑)。それにギターも上手くない(笑)。

    ハル:赤いセミアコは皆持ってんだもんね。グレッチね。そうかナチュラルか。懐かしい。ここまで掘り下げて喋ったたことさすがに無かったな(笑)

    原:その当時、ハルさんが気にしていたバンドっていましたか?

    ハル:いや、ないよ。あえて言えば、その大学の先輩のブルースバンド、ロックンロールバンドとかになるけど。それかフールズ、山口富士夫とかそれくらいのバンドしかなかったと思う。俺の中ではね。シナロケとかもあったけど。

    二位:その頃は誰だろうな? ARB、MODSはちょっと前かな? ブルーハーツ、BOOWYとかかな?

    ハル:その頃、俺は不思議とARB(※6)に影響受けなかったのね。なんだろな、ARBはちょっと二枚目すぎて、ポップすぎるのかなと思ってて。欧米のワードが好きだったから、ストーンズとかビートルズとか。もうちょっと日本語をうまくメロディーにのせれたらいいのに、日本語が熱いばっかりに、メロディーが悪い、リズムが悪いようなバンドが出始めてきてたのね。そればっかりだったから、日本語をうまくロックにのせるのを永ちゃんがうまくやっていたのにもったいないなと。そういう、ストレスはあったね。だから、俺が唄いたいなって気持ちは全然なくて。普通にバンドが好きだったから。ただみんなで、でかい音を出せればよかった。俺はベースで本当はよかった。ベースやりたかったから。今でも歌を唄うのは恥ずかしいもん。まあ、慣れてはきたけど。最初はなんで俺がやるんだろうって。ただ、自分の作った曲を他人にやってもらったこともあるんだけど、ちょっと歌詞とか変えられちゃうし、唄い方も変わるから、メロディーとかノリがちょっと違うんだよなって。せっかく曲作ってもこんな風になるんだったら、自分で唄った方がいいなと思って。それで3人になったんだろうなきっと。曲作るのは好きだった。自分の曲を作るのは好きだったんだけど。自分で唄うって言うところには興味はなかったんだけど…。
    (※6)役者の石橋凌がVocalだった。めんたいロックという、今風に言うならJパンクなジャンルにカテゴライズされることもあったけど、歌唱力、演奏力ともにグンを抜いていた。メッセージ性が強くて反戦歌や当時からゲームやコンピューターに没頭する危険を歌ってたのが印象的。

    原:人には任せられないと?

    ハル:そう。自分でやったほうが早いなって。ストレスになるよりは。

    原:それで、ベースボーカルの形なんですね。

    ハル:そう。ベースボーカルはギターとドラムの間に居るから、曲を説明するのに、コードの説明もできるし、リズムも自分ですぐできるから。スタジオ入って唄えばドラムは合わせてくれるし、ギターも合わせてくれるから、もう手っ取り早い。

    二位:なるほど、いいポジションだ。

    ハル:マスヒロもドラムがしっかりしているし、アビさんはピアノも弾けるし、コードとかも凄い知ってるから、もう練習もすごく早くて。あの時は楽だったね。その後は大変だったよ。マスヒロをクビにしてから。

    二位:そうだよね(笑) 何でクビにしちゃったの?

    ハル:やっぱりマスヒロがちょっとプログレ派だったから、ビートルズ派とは全然相反するもので。最初のツアーでやっぱり駄目だなと思ってね。

    二位:難しいことが演りたかったんだ。

    ハル:うーん。バンド始めて2年くらいでバンドブームの波が来て、せっかくメジャーデビューは出来たんだけどね。最初のツアーでカーステで好きな音楽を皆でかけあうんだけど、ビートルズがかかるとマスヒロが嫌な顔するの。ああいうリンゴ・スターみたいなのが、マスヒロにとってハードロックとかプログレをやってきた人にとっては、あのドラムスタイルはちゃちで聞いてらんないみたいでさ。チームワークがだんだん崩れてきて。それまでは良かったんだよ。ツアー行ってからだね。おかしくなったの。寝食を共にするうちにやっぱり違うなって。

    二位:腹の底まで分かってしまったからか…。年取るとどうでもいいことも若い時はダメだもんね。

    ハル:そう。それで音楽的にも違うし、マスヒロみたいにハードロック好きは、当時のその手のバンドはドラムがメインなの。マイケル・シェンカーみたいにギターがメインなバンドもいたけど、結構プログレのバンドとかハードロックのバンドってドラムがメインだから、マスヒロにとっては一番ドラムが目立ってなくちゃいけない世界なの。

    原:そうなんですか。

    ハル:それなのに、バンドブームの頃なんて誰もドラムのことなんか見ちゃいない。それでひがんじゃう時もあったから、もうやり辛くなっちゃってね。せっかくもの凄い音を出してたのにね、あの3人は。

    原:マスヒロさんが抜けて、すぐに代わりのドラムは見つかったんですか?

    ハル:もうすぐに見つけてたよ。それがウガンダ。俺の大学の後輩で、何でも言うことを聞くような、ちょっと面白いことやってみろって言ったら、何でもやる芸人のような人。もういろんな芸を持ってるやつだったな。器用なやつだったんだけど、まずいことにドラムだけは初心者だった。お笑いの才能はあるんだけど、ドラムを叩くっていうことに関しては何も経験のない初心者で。そこでちょっと苦しめたね。それがまたM的に面白かったね。かわいい後輩だったからね。やっぱり同じ千葉も出身で。

    二位:そのドラマー選びのギャップがすごいね(笑)。最初は、テクニックでドラムを選んで、次は面白さで選んだんだっていう(笑)

    ハル:そうだね、やっぱり、ウガンダはブルースとかビートルズとかすごく大好きだったし、もう音楽の好みは絶対に間違いないなと思った。



    原:一時期4人でもやっていましたよね。

    ハル:それは何でだったかな。ドクターフィールグッドのカバーをやる時に、手ぶらでボーカルの役をやらなきゃならない時があってたからだ。それで、友達なんだけどベースにアキラってやつを入れてさ。俺が真ん中に居たらバンドの様子がよく見えるようになって、そしたら今度「ギュー」っとならなくなって。初めてカバーバンドを結成することになったんだけど、その直前ぐらいが、ウガンダを一番追い込んじゃっている時期で。3人でやっている限界が来てた。音楽的にどうしても叩けないリズムとか、どうしてもノリが出てこないという理由で。それが何年も。何年くらいかな、5年くらいやったのかな。もう「ギュー」っとなっちゃている時期で。その時に、たまたまカバーバンドで4人でセッションする機会が出来て、そしたら俺の力が抜けてさ…。なんかバンドって力が抜けたら楽しいんだなと思って。それで、この編成で夏のツアー回ってもいいんじゃないかと思って、(Theピーズが)4人編成で回った時があった。でも、やっぱり結局は3人は3人だからね。一応、ちょっと力を抜くことを覚えたんだなと思って。その夏のツアーだけは特別に4人でやった。

    原:そういう理由があったんですね。

    ハル:いろいろ思考錯誤でウガンダをなんとか楽にできればよかったんだけど。結局は追い詰めたままツアーの直前になって「もういいや、明日からツアーだけどウガンダなしで、俺とアビさんの二人で行くよ」って伝えた。スタジオでなんかそういう雰囲気になっちゃってさ。急遽、俺がギター借りてギター2本で行ったな。アビさんと2人ピーズ。ウルフルケイスケの家に朝ギター借りに行ったの。「悪い、悪い、ちょっとギター貸して」って。「ええで、頑張ってなあ~、大変やな」って。

    原:ケイスケさんいい人ですね。ところでパブロックはどこから入ったんですか?最初はビートルズが好きという話だったのですが、ドクターフィールグッドを聞くようになったのはいつ頃ですか?

    ハル:それはね、大学の仲間がすごく音楽が好きで、レコードの貸し借りがすごかったね。そこでたくさん覚えた。そこからかな。俺は、ウィルコジョンソンよりも、ウィルコが抜けた後の、3枚目か4枚目くらいのレコードのベースラインがすごく好きで、それは本当にベースの練習になったな。それまで永ちゃんだけだったから。同じフレーズだけだからね、あまり参考にならない(笑)。でも参考にはなったけど。キャロルのレコードは少ししかないからね。フィールグッドでいっぱいベースの練習したな。

    原:へ~そうなんですね。

    ハル:ポールマッカートニーのベースとかは、今はなんとなく分かるんだけど、当時はアタックが無いと感じてて、もっと8ビートでベターっとしているのが好きだったんだよね。それがドクターフィールグッドの特徴で。ビートルズはちょっとはねたりとかするから、なんか力の強弱とがが。その頃はあんまり好きじゃなかった。もうでかい音でベタっとこうしているドクターフィールグッドが好きだった。



    二位:歌詞で一番影響を受けたっていうのは?

    ハル:歌詞の影響は何にも無いね。だって最初はくだらないじゃん。「カラーゲ」とかだもんね。

    二位:それがものすごくインパクトがあったじゃないですか。世の中には。

    ハル:世の中は愛だ恋だって歌ってたからね。アナーキーとかは良かったよね。「愛だー、恋だーとさえずって~落ちたーもんだぜ、歌謡曲」とか、ああいうくらいに自分の思っていることを言えたらいいなと思って。

    二位:あー、しいて言えばアナーキーのそういった感じの。

    ハル:決してさ、アナーキーって反体制とかじゃないじゃん。「団地のおばさん、団地のおばさん」って歌詞があったり。

    二位:そうそう、意外と身近で単純な感じ(笑)。

    ハル:おっ、これはいいなと。せっかく作ったいいメロディやいいコードでも、こんなくだらない歌詞をのせてしまえば、すごく自由を訴えられるかなと。

    二位:かっこつけすぎた面倒くささも無いもんね。

    ハル:無いね。かっこつけたくなかったし。どうせかっこつけてもボロが出るし。最初からくだらないふりで、とりあえずバンドが気持ちよければいいじゃないかとい感じで。歌詞とかあんまり聞かないでいいんだよって言う感じで。

    原:凄いスタンスなんですね。

    ハル:うん、聴く必要ないよって。メロディーと音量があればいいじゃないかって。



    原:当時は「バカロック」って言われていたじゃないですか。それに対して何か思う事とかってありました?

    ハル:そこには尊敬している先輩たちがいたからね、マモルくんとかモリくんとか。モリくんは同い年だけど、テクニックもあったし。その4バンドがつるむんだから、これはいいムーブメントだろうなと思った。

    二位:最初に誰が言い出したんだろう?

    ハル:バカロックとか言い出したのは、マモルくんとノリオくんだと思うよ。俺はなんか4番目の弟で付いて行っただけって感じだもん。

    原:話が変わりますが、シンイチロウさんとはどこで出会ったんですか?

    ハル:シンちゃんは大学が一緒だった。だけど、まったく大学で会ったことがないの。ポゴとかケントリとかさ、ケンジ&トリップね。それで、佐藤シンイチロウっていうすごいドラムがいるぞって、La.mamaとかによく見に行ってた。

    原:ライブを見に行っての出会いなんですね。その出会いからしばらくたって、サポートとしてシンイチロウさんが入ったんですね。

    ハル:シンちゃんは、もっとずっと後に入ったよ。

    二位:その前に休み期間があるもんね。

    ハル:ウガンダがクビになってから、その後いろいろ何人もドラム代わっているんだよね。それで最終的にアビさんが結婚して子供が産まれて。

    二位:アビさんが抜けて、「えび」のコゴロー(※7)の時期があったね。
    (※7)1988年に結成された「えび」というバンドのギタリスト。イカ天で急激に有名になって、知的&皮肉交じりの当時特有のパンク的なロックをやっていた。凄いバイタリティーで自ら株式会社を設立したり、解散後もベーシストやデザインやイラストで名を馳せている。2009年に1度再結成ライブが行われている。

    ハル:とりあえず、バンド始めて10年目に差し掛かるくらいに、アビさんが家庭とバンドの両立が厳しくなった状況に陥ってしまい。その時にアビさんと最後のレコーディングをするんだけど。その頃は、ドラムがとっ変えひっ変えで。アビさんとはとりあえず、9年目までは頑張ったんだけど、10年目はコゴローだった。アビさんに俺は来年辞めるから、とりあえず今、大変そうだから先に辞めといてって。本当に10年で辞めるつもりだったから。それで、シンちゃんにレコーディングの手伝いをしてもらったのが、アビさんが抜ける最後のレコーディングで、アルバムの半分くらい曲を叩いてもらった。声かけたら「お前ら大変そうだな」っていう感じで、「いいよ」って。

    原:そこから、間が空くんですね。

    ハル:アビさんが抜けて…だから10年目は俺とコゴローとよっちゃんの3人で夏のツアーやった。アルバム1枚作って頑張って、そのまま活動停止ですな。それから5年間。



    原:休んでた5年間はどうしていたんですか?

    ハル:とりあえず、もう30過ぎてたから。32かな。手に職は無い訳だから、車の免許を取ってみたり、料理が好きだったから調理師の免許を取ってみたりだとか。厨房に結構長い期間いましたよ。「30過ぎの大木ちゃんなんだけど、料理は素人ですが宜しくお願いします」と、若いやつらに頭下げてね。こき使われたけど。でも、バンドやってる時よりは、楽だったよ。本当に10年目、9年目はきつかったから。これはね、活動停止して厨房に入って、毎日毎日、同じことしているんだけど、楽だった。精神的にも。言うこときいてればいいんだもん。金だってさ、全然バンドやっている時より貰えるし。

    二位:それでも修業を4~5年やったら、料理の世界でもある程度にはなるんじゃないの?

    ハル:うん。とりあえず調理師の免許も取った。取ったけど、結局は19、20歳からやっている料理人に比べると、もうレベルが違うし、免許なんか履歴書に書くための肩書きでしかなかったし。料理で勝負できる自信は何も無かった…。そんな頃、厨房で有線がかかっててさ、民生くん、倉持くんとかミッシェルの曲がかかっててね。

    二位:ちょうど、下北でやってたバンドが騒ぎ出した時期だよね。

    ハル:料理やりだして5年目ころに真心ブラザーズの倉持がいろいろと声かけてくれてさ、YO-KINGバンドみたいなので動き出してたんだよね。だから、ちゃんと料理をやっていたのは4年くらい。

    二位:YO-KINGが、復帰の兆しを作ったんだ!

    ハル:そうだけど、途中はみんなは頑張ってんだなと厨房の中で思って。俺、ユニコーンは知らなかったんだけど、民生くんの歌は有線で知って。これはとてもいい曲を作る人がいるなと思って、音楽は民生くんに任せておけば大丈夫だなって思った。

    原:有線を聴いてですか?

    ハル:料理を頑張っている時代だから、ぜんぜんバンドをやる気は無かったな。聴くのは有線だけで、家に帰っても、もうバタンキューだから全然レコードなんかは聴かなかったし、楽器も弾かなかったし。もう指なんて焼き鳥の油だらけだったからね。指はこげてたし。

    二位:凄いねー。

    ハル:でも、きっかけが分からないなぁ…。

    二位:戻るきっかけが?

    ハル:いくら免許はとっても料理は素人。音楽は中学の頃からやってたし、10年バンドをやってたから、自分にとっての手に職はそっちかなって痛感するのよ。とりあえず音楽じゃない仕事をいろいろやってみたけれど、結局はバンドなんだなって。音楽だなって痛感して。もう俺は、落とし前的にもやるしかないだろうって思ったんですな。

    二位:それから、アビさんに話かけたの?

    ハル:うん。俺が活動停止している時に、事務所にそれまでやっていたTheピーズのVHS、テープがいっぱい残ってて。それをそのときの事務所の社長が「ハルこれもう処分しきれないんだけど、どうする?」って。「じゃあちょっと見ますよ」と言って見たら、10年分の歴史とか内容がすごく面白くて、これを編集してみてもいいんじゃないかって。自分なりに手作りで編集した。そのころ応援してくれてたお客さんとかに感謝の気持ちを込めるのと、アビさんこんなに頑張ってたんだな、マスヒロ、ウガンダもこんだけやってたんだなって、ひとまとめに出してやんなきゃなと思って。それがね、最初は4本くらいで済むはずだったんだけど、14本くらいまでいっちゃって(笑)

    一同:すごい! (爆笑)

    ハル:もう大変な作業だったよ(笑)。毎月1本づつ出してたんだけど、14ヶ月だからね。ビデオの編集とかね。その頃はまだバンドやる気は無かったの。だから活動休止じゃなく、活動停止にしたんだけど。だけど、その厨房の仕事の休みの間に事務所に通って編集をしてたんですよ。夜中までさ。それを繰り返しているうちに、もしもまたバンドやることになったら、絶対アビさんとやらなきゃ駄目だなって。

    二位:そっか~。偶然と必然の狭間の感動です。

    原:アビさんなんですけど、またやらないかって話は、ハルさんから切り出したんですよね。

    ハル:本当に虫の良すぎる話だったんだけどね。

    原:それ以前はアビさんと連絡をお互い取り合っていたりしてたんですか?

    ハル:取ってないね。アビさんは本当に最後の10年目までは、俺と一緒にやりたかったんだもん。だけど、俺がいいからって言って、アビさんを最後のレコーディングで残酷にきったわけだからね。なんかもう、家庭があるってのが羨ましいってのもあったし。それと音楽業界がなんかもうやりきれねぇなって思ってて。それにつき合わせたくないよって。なんかしんどかったな。

    原:アビさんにまた活動再開しようと話たときは、二つ返事でOKだったんですか?

    ハル:二つ返事では無かったよ。「ちょっと虫が良すぎるんじゃないの?」って。アビさんは辞めてから5、6年の内にさ、家庭の為に土木関係の棟梁とか責任のある立場に登りつめていたから。血走りながらね。ここでまた音楽に戻るのはそりゃ無理だよっていう感じだった。だけど、そんな前みたいにどっかの事務所に所属して、給料もらってTheピーズをやるわけではなくて、なんとなく休みの日に暇を見つけてライブをやってという感じなんだよねと。

    原:話をしたんですね。

    ハル:うん、ドラムも昔みたいに苦労するよりは、気心というか呑み心を知っているシンちゃん、佐藤先輩にここは頼もうと。

    原:それからシンイチロウさんにも連絡を取ったんですね。

    ハル:そう。シンちゃんは「とうとう来たか」って感じだったね(笑)

    一同:爆笑。

    ハル:もう禁断の実に手を付けてしまうんだよね。

    二位:もう、これは感動ドラマだね。

    ハル:そう思ったね。その時はこんなにthe pillowsが、今みたいにビッグになって忙しくなっているとは思はなかったのね。その当時は。人気はあったけど、Theピーズをたまに掛け持ちするくらいだったら出来るだろうっていうくらいのシンイチロウ先輩だったの。だから、全然「おう、いいよ」って言ってくれて。それが2002年か。それで再び活動してね。



    二位:復活初ライブって?

    ハル:本当はジャパンフェスに呼ばれてたの。初ライブを。でも、メディアとかにお世話になるよりは、昔からお世話になってた千葉LOOKにね。「復活は千葉LOOKで!」っていう感じで、千葉LOOKを入れたのかな。

    二位:なるほどね~。

    ハル:やっぱり、復活はライブハウスでしたかったのね。フェスとかだとさ、ドーンと何とか復活!みたいな扱いされちゃうよりは、またライブハウスで、また千葉からってね。

    二位:そこらへんが、本気で皆に好かれる原因だよね。しかも長く。ところで復活してから何年経つんだっけ?

    ハル:8年だね。

    原:すごいですね。続いてますもんね。

    ハル:結局、10年やって、5年休んで、8年やって。一応結成23周年だけど休んでるからね。計算が難しいんだ。

    二位:なんか怒髪天の流れと似ていておかしいよね(笑)

    ハル:そうだね、怒髪天もそうだね。3年何もしてないからね。最初は食えると思って始めたのに、結構食えないなっていう壁にぶちあたるんだよね。自分ひとりで食えても、家庭を持ったらぶち当たるしさ。それでやっぱりみんな続けられなくなるんだよ。

    二位:今の30代のバンドが「あ~!」って思うインタビューになってきた!

    ハル:それで弾き語りをやる人もいれば、俺は手に職をつけなければ食っていけないやと思ってたしね。バンドじゃ食えないなと思ったんだね。一人で生きていくのはいいけど、家庭は持てないなっていう危機感が。今も結局、誰かれ食わせてるってわけではないけど。金持ちでもないからな。

    原:それでも、アビさんに声をかけたのはやっぱり正解でしたね。

    ハル:うん。もう今は何も悔いがないっていうか、それは昔メンバーには迷惑かけたってことで後悔はしてるけど。現状況については不満は何もない。うまくいかなかったら自分のせいだし。



    二位:トモくんを手伝うようになったのは、トモくんから声をかけてきたの?

    ハル:トモが声をかけてきた。トモもメンバー集めは大変だからね。バンドとして、トモがメンバー全員の面倒をみることはできないんだよね。金銭的にとか。あと、自分の曲を説明するにも、自分以外の他の4人がバンドとして1つにならなきゃいけないっていう苦しみをトモも味わってる。それはもう無理だってトモも諦めてる。だから自分の曲をさっと理解してカバーしてくれるメンバーを、その時その時で、ちょと集まってセッションという形をとってるんじゃない。トモフスキーはトモフスキーでもう独りなのね。バンドでやるときはバンドトモフスキーになるけど。俺はトモの曲とか分かりやすいからね。ちょっと難しいけど。それでもなんか、他の人がベースをやるよりかは、俺の方が早い。

    二位:血が近いからかね。

    ハル:トモにとって俺は便利だと思うよ(笑)。いきさつはサード・クラスがバックバンドやってて、そのベースが抜けちゃって。誰かベースを入れなきゃならなくなって、ワタナベイビーがやったりしたんだけど、彼すごく忙しいからね。俺だってそんなに暇じゃないんだけど(笑)、まぁ、俺のほうが暇なんだけど。あと、なんか便利なんだよ。双子だから。分かりやすいし。ここでこうしたいんだろうなとか分かるもん。



    原:Theピーズの場合は曲作りってどうなんですか?

    ハル:昔は宅録みたいなことしてたんだけど、最近はスタジオで合わせるだけになっちゃった。家でコツコツやってるのがめんどくさくなっちゃったってのもあるけどね。せっかくMTRとか友達からタダで貰ったんだけど、もうスタジオで合わせるだけ。シンちゃんとアビさん一発で。俺が一週間かけて曲作って、1時間もかかんないで2、3回でセッションするともう出来ちゃうんだもん。みんな良い意味で力抜けてるんだよ、頭も。覚え方を覚えたって言うか。なんで昔は、こんな何十回も練習してたんだろうって。今はもう3回くらいで完成して、もう早くライブやろうよってなる。

    二位:へ~そうなんだ。それが職人の域ってやつだね。やり続けてないと全然頭入ってこないから。俺なんかたまにギター弾いてコピーしても全然構成が覚えられない(笑)。

    ハル:なんで昔は何十回もやってたんだろうって。練習何十回もやるよりは、ライブを何十回もやった方がいいんだよね。できたら練習なんか本当に少なくていい。でも、たまたまウガンダは練習するのが必要だったから、あの頃はいっぱい練習したけど。今はレコーディングの前も1回だな。ひどいよね。

    二位:若者はやっぱ体で覚えられないから練習するんじゃないでしょか。ピーズはレコーディング前でも1回なの?

    ハル:よっぽど曲があればもっとやるけど、今はアルバムじゃないから。3、4曲とかのマキシシングルのレコーディングしかしないから。インディーズになったからね。それにCDはもうTシャツ感覚で売ったほうがいいよね。昔はキングやビクターにお世話になったけど、もったいないよ、全部会社にもってかれちゃうからさ。食えるわけないよ、アレじゃ。今は手売りだよ。永ちゃんだってそれで手売りになったんだからね。レコードもタオルも。

    二位:ちょっと頭を使えば、絶対そっちのほうってことでしょ。

    原:時代が変わったと感じます?

    ハル;変わった。もうこの後、ネット配信になるからね。だから手売りもどこまで売れるかどうかは分からない。それでも昔よりかはマシってこと。沢山売れてもでっかいレコード会社に持ってかれるよりかは、今がマシだな。そりゃ、全国の人には届きにくくなっちゃたけどね。せいぜい、何千人くらいしか売れないけど。フェスがいっぱいあるから、いろんなフェスに顔出して、耳に止まるやつらは耳に止まるんだからね。レコード会社の人がどれだけ宣伝してるのかだって分からない。いまだに歌番組っていつも出てくるのは同じなんだもん。



    二位:配信って意識してる?

    ハル:配信?本当は俺はあんまりしたくないんだ。なんかもったいないもんレコードがいいな。配信だとなんかシャカシャカしてそうでさ。圧縮がどうのこうのなんてよくわかんないし。

    二位:CDは?

    ハル:いまだに俺はレコードって言うもんね。嫌いだねああいうのは。でもしょうがないと思う。家ではもうレコードを回してるよ。プレイヤーが壊れちゃったからさ。でもレコードを聴きたいから、安いポータブルプレイヤー買ってきてモノラルで聴いてるよ。

    二位:凄い…。

    ハル:配信はあれだ、名前が売れてない人らが自分らを売るためにはガンガン使うべきだけど。俺らは名前は悪い…へんな名前かも知れないけど、とりあえず出まわっちゃてるからさ。今更そういう宣伝をする必要は無いんだ。もう分かっちゃてるから。ベイスの俊平がたまにやってるみたいだけど。

    原:ライブに対する想いなどは、当時と変わってきてますか?

    ハル:ライブはやっと最近ちゃんと出来ているような気がするよ。昔は本当に見えてないんだよ。周りも自分も。客観的に見えてなかった。もう全身の血管が浮き出てたんじゃないかなって。しっかり呼吸もできてなかったんじゃないかと思うくらい余裕が無かった。3人バンドっていうのもあるけど。もう、「ギュー」っとなって演ってたと思う。最近はなんだかボケ始めてきたのかもしれないけど(笑)頭と身体が分離し始めてきてる。ベース弾きながらなんでこんなこと唄えるんだろうって、不思議になってきた。昔は頑張って演ってたけど、最近は勝手に演れてるなって。それにやっと歌が唄えてるいる気がして。昔は器用にやってんなって感じだったのが、自然に出来てるなって。それはシンちゃんのお陰って言うのもあるんだよね。すごくフィットしてる。あと、アビさんも力が抜けてるんだよね。昔は、よく弦切ったりとかしてたけど。これが更年期なのかな(笑)40過ぎると。

    一同:爆笑。

    ハル:音的にはもう不安はなくなった。だけど不安って言ったらなんだろうな。なんか不安なんだよ。出かける前とかは。何でやるんだろうとか思うしさ。昔は他人に存在をさらしたいだとか、ナメられてたまるかみたいな目標みたいなのがあったけたけど、今はそんなのがどうでもよくなって、逆に何の為にライブやるんだろうってのがある。フラワーカンパニーズみたいに、皆で一緒になってお祭りさわぎして楽しませようっていうサービス精神みたいなのがあればいいんだろうえど、俺らわりと冷めてる人間だからね。もう全然受けなくていい。笑ってもらわなくても結構。ただなんとなく自分で作ったいい感じの、お気に入りのメロディーをデカイ音で鳴らせられれば、もうそれで十分満足してしまうところからバンドが始まっているから。

    二位:「俺、絶対大丈夫です」って言ってステージに立つ人もいるじゃない。ついてこいよみたいなさ。だけど多分ピーズは、「大丈夫?」みたいなところで存在しているというか、ちょっと斜めからみているっていうか。けっして真っ直ぐではないし、超健康的でもない。だけどその人間臭さに共感する人がすごく多い。

    ハル:うん。責任は持ちたくないし。なんとなく気持ちよければいいんだよな。それは本当に不安定な目標だからね。目標を動員、ギャラ何万円って考えればいいんだけどね。

    二位:よくわからないけど、ブルースの人たちに感覚が似ているんじゃないのかな。

    ハル:そう? 今やれているだけで感謝しちゃっているからね。精神的にハングリーってのは無いね。お金は儲かってないけど。なんかこう、切羽詰ったっていう状況はないな。未だに社会にどうのこうのって言いたい気持ちもないからね。大人って何を目標にして生きていくんだろう? 俺は何も訴えることは無い。



    原:そんなハルさんにとって、ライブハウスはどういう場所として考えてますか?

    ハル:ライブハウス….。俺のライブハウスってのは、東京に出てきたころの如何わしい空間が好きだったな。エッチな姉ちゃんとか、酒とタバコ。怖い兄ちゃんがいて、薄暗くてね。音がめちゃくちゃデカくてね。如何わしかったり、緊張間があったりとかいう。だけどたまに、夕焼け空に急に出てきちゃうような、いい曲が突然心に響いちゃったりしてしまうようなバンドに出会っちゃったりする。なんか、でかい音が必要だな。外だと駄目なんだよね。

    原:今じゃそういうライブハウスってあまり無いんじゃないですか。

    ハル:うーん、自分が行ってないからかも知れないけど。

    二位:野外だとダメ?

    ハル:やっぱり、あの限られた空間。狭い所で、でかい音を聴くっていうさ。贅沢なんだよ。本当にそこが。

    二位:昔の屋根裏(※8)とかも本当に緊張してたもんね、入るのに。
    (※8)今とは違うセンター街にあった初代屋根裏(1975-1986)。1975年にオープンし、1986年の夏に閉店。 今の屋根裏グループとはスタッフも経営母体も違うライブハウス。現CLUB Que店長が下北沢屋根裏で働いている時に当時の社長が「区が違えば同じ名前でも問題ないんだよ」っていってました(笑)。 現UKP社長遠藤は両方の屋根裏で働いた経験あり。ただし下北のほうは3日だけ(高いお茶を買ってクビになった)。)

    ハル:そう、一見さんお断りみたいな感じだったもんね(笑)。怖くて、やっと楽屋に入れた~!とかさ。今も怖いライブやっている人はいると思うけど。

    二位:けど、怖い世界のなかにも、なんか向上心があったんだよね。昔と比べてライブハウスどう思う?

    ハル:昔は良かったってあまり言いたくないんだけど。そうだな、俺にとってライブハウスは仕事場だからな。100%自分をさらけ出して、お客さんからお金とってやっているわけだからね。つまんないことしたらほされちゃうしね。結構怖いんだよ。はずせないんだよ。本当は。

    二位:まだ恐怖心みたいなのはあるの?

    ハル:うん、ライブって麻痺しちゃうところがあるからね。本当はハズしているのに、お客さんがいなくならないと気が付かないって事もあるからね。Theピーズは急にお客さんがいなくなったっていう状況はなかったかもしれないけど。1度は自分から辞めてしまった人だからね。



    原:最後に、Theピーズの今後の思い描いているライブというか、展開を聞かせていただければ。あとは、若いバンドマンに向けて一言あればお願いしたいです。

    ハル;うん。Theピーズは、もうこれ以上もこれ以下もないと思うんだよね。なんかもっと色んな街を回れたら、昔みたいにツアーができたら変わるかもしれないけど、それはもう出来ない。それが前提で今は始まっているから。レコード会社とかも手を切っちゃったし、これ以上はないんだよね。だから、あとはみんなの身体が続く限りやれたらいいなって。今はそれだけかな。向上心が無いっていったら無いけど、日々曲を作らなきゃいけないプレッシャーは続いているから、きっと向上心はあるんだろうな。若いバンドにひと言? 若いバンドだってすぐ年寄りになるんだから(笑)。知らないうちにね。それとやっぱり横の繋がりがあるといいね。
    今はフェスとか流行っているけど、俺はそれでもいいとは思うんだよね。いろんなバンドが見れて、お客さん同士も広がって。今までZAZEN BOYSとか見たこと無かったけど、このあいだのフェスで初めてライブを見て、すごいなと思ったよ。そんでお客さんのほうが偉いと思うんだ。お客さんが色んなバンドを見に行くから俺らは食っていけているわけだし。お客さんは本当にありがたい。バンド同士も横に繋がって、そういう場所を増やして、新しいものが見れたりすればいいよね。でも、カリスマみたいなバンドが出てきてもいいなと思うよ。このバンドしかイラナイっていうね。ミッシェルみたいな。ああいう影響を呼び起こすカリスマみたいな。俺にとっての永ちゃんみたいな人がいてもいいと思うけど。バンドマンはね、演れてるうちが本当に幸せ。演れてるうちだよ。噛み締めないと。辞めたらやり直すのは大変だよ。カッコ悪いのを続けててもしょうがないけどさ(笑)。難しいね。でもその日にライブができるんだったら、その日のライブをハズしちゃ駄目だよ。かみ締めないとな。怖い怖い。

    二位:素晴らしい、素敵な話ありがとうございます。映画作れそうな話でした。

    原:今日は長々とお付き合いありがとうございました!

    ハル:いえ、今日はいい居酒屋でしたよ。
    2010/10/16(SAT)
    "Que's 16th birthday presents 「Sweet little sixteen」 -FINAL-"
    Theピーズ -oneman-
    open 18:30/start 19:00 SOLD OUT

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