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SUPER BAD
高田エージ,内藤幸也,鹿島達也,遠藤典宏
» http://www.supergoooooood.com/
SUPER BAD
    Dr.FEEL GOODが1987年に来日した時のオープニングアクトとして世に認識された。黒いスーツに跳ねたリズムのロックンロールというイメージ。時代的にゴリ押しの8ビートが席巻する中で、ジェームスブラウンのリズムを矢継ぎ早に吐き出す4人組は、限りなく新しく刺激的だった。それまでの九州、大阪のロックが泥臭く攻撃的で排他的だった流れから、突然東京に降り注いだ洒落た不良たちのロックのように思えた。これは80年代後期にかけて一つのムーブメントだったと思う。スカパラやミュートビートもその筆頭で、乱雑なライブハウスから一歩抜け出た彼らは西麻布、六本木やウォーターフロントと呼ばれる、ニューカルチャーが蠢く場所でも活動の場を広げていった。そこにはバンドだけではなく、DJは勿論、絵、写真、建築など多岐にわたるアートが合流し豪遊していた。60年代のニューヨークを髣髴させていたのではないだろうか。PAや照明も衝撃的に進化した時代だった。そんな1988年彼らは意表をついて、誰もが知っている童謡である「ドナドナ」をスカチューンでデビュー。しかし時代とは皮肉なもので、彼らが構築した美あふれる先進なロックシーンは、TVの「イカ天」という番組の影響で、あたかもアンダーグラウンドシーンに置かれるようなイメージになった。だけども通や現場に通う輩には、これこそが本物だと思わせるシチュエーションにもなり、記憶を辿るとより激しくこの頃のロックシーンに先鋭なものを感じてしまうのはそういう影響もあったかもしれない。そんな中MUTE BEATを脱退したギタリスト内藤がSUPER BADに参加。当然ハイレベルな音楽シーンはジャンルを超えてスーパーな出会いや交流を生み、彼らはこだま和文やJAGATARAのメンバーとも共演し、時代をつかんだ1992年、残念ながら活動停止。だがその後もそれぞれのメンバーはピロウズやフィッシュマンズ、TOMATOS、ARB、Zi:LiE-YA、堂島孝平などに参加していくことになる。そうSUPER BADなきあとも彼らは日本のロックを揺るがし続けたのだ。 それから2年後にCLUB Queがオープン。ほぼ同時に高田エージはアコースティックという武器をもって、今度はリズム&ハーモニーで時代を変えた。彼らの後にアコースティックデュオがどれだけデビューしたか。下北沢発信でまたもや日本中に先鋭なシーンを構築したのだった。
    2013 3/10(SUN)
    "21世紀にスーパーバッドが蘇るSUPER BAD 「REVIVE」"
    SUPER BAD[高田エージ,内藤幸也,鹿島達也,遠藤典宏]
    GUEST>松竹谷清(ex.TOMATOS)

    open 17:00/start 18:00 ADV / ¥3,800 DOOR / ¥4,300

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