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森園勝敏
森園勝敏
    今月は震災直前の3月4日森園勝敏さんにインタビューさせていただきました。終始笑顔でにこやかに答えてくれたその人柄は、日本のロックの創成期を担った人という、こちらの重い思い込みを払拭してくれて、1ミュージシャンとしてのありかたを、威圧なく教えてくれたようだった。四人囃子という誰もがうなずく、卓越したロックミュージックを作り上げたギタリストだが、それは遊び心と没頭、研究とチャレンジ、諦めと工夫に満ちた人生だったのだろう。1954年東京生まれ。グループサウンズ時代に少年期を過ごし、それじゃないロックを求めて岡井大二、中村真一、坂下秀実と四人囃子を結成。のちに名プロデューサーとなる佐久間正英も参加した。活動はDeep PurpleやRainbowのオープニングを務めたのは有名だが、NEW YORK DOLLSとの共演も興味深い、インタビューではジョニーロットンとの接触などかなりおもしろい話も聞けた。何よりギターが大好きで、音楽と人が好きで、ちょっとしたいたずら心も持ち合わせつつ、40年にわたる遍歴を面白く語っていただきました。その中で、数ある音楽の中の一つの形であるロックというポジションでその存在価値をみているというか、かなりグローバルな考え方には頷かされるものが多く。すべてを知っている人への尊敬は持ちつつも、話の面白さと、ほどけた空気感の中で貴重な話を聞くことが出来ました。「シリアスさがないのが、こっちの音楽の救いだから、そこでそんなシリアスにやるのはちょっと場違いなんじゃないのかって思う」という言葉が特に印象的。「そんな大そうな事じゃないんじゃないと思ったりもするわけ。勿論ウォーと思うこともあるんだけど。今あんまり言わないけど軽音楽じゃん。だから軽いわけよ。基本的に軽いわけよ。僕らのは。難しいこと言わないで聞けるはずなのに、それを難しいこと言いながら聞くのもひとつのアンチテーゼみたいでさ、なんかニューロックとか言われたんだけど、やっぱもとはロックンロールだからさ。もっと言うとリズムアンドブルースだからさ」。色んなタイプがあれど、コミュニケーションツールとしての音楽というところでは、時代は関係ないのかもしれない。

    二位:今日はよろしくお願いします。まずはこのイヴェントをやるにあたり、ローリーさんとの出会いのあたりから伺えますか?

    森園:出会ったのは…そうね10年以上前かな、ローリーから直接じゃないんだけど連絡があって四人囃子に「空とぶ円盤に弟が乗ったよ」って曲があるんだけどそれを彼から「カバーしたいんですけど」って連絡があったの。で、いいですよって言って、でもその時には彼に会ってなくってね、後から出来上がったのを送ってくれて「へー」って思ってね。ありがたかったね。それコレクターズの加藤くんとローリーでコラボっててね。コレクターズの方のレコーディングににも呼ばれて。ローリーは安全バンドとかも好きだったみたい。

    二位:そうなんですね~。

    森園:それから特に会うとか連絡とかなかったんだけど、ひょんなことから去年THLEE OF USっていうバンド、伊藤広規って山下達郎と長年やってるベーシストと、向山テツってドラマーと3人ではじめてね。そのバンドとローリーとでやりませんか?って話があって、全然かまわないよってことで去年の8月に演ったんだけど、演ったところが、物凄く彼が四人囃子の曲に対してなんていうか・・・解釈が深いというか造詣が深くてね、こっちが感心しちゃうくらい。其々の曲の情景とかを彼なりに思い浮かべて「これはこういう感じですよね」って感じで、むしろ僕のほうが彼のそういう姿勢に感動しちゃって…、ライブも凄く良かったんですよ。THLEE OF USとあと、難波弘之くんと安全バンドの中村哲。凄くいいギグが出来たんですよね。YCC…横浜クルージングクラブっていう…あのライブハウスじゃないんですけど、そこでやってね。それでこれ一回きりって言うのも寂しいなってことで、なんだったら今度は安全バンドの連中や、岡井大二とかも呼んでそのメンバーで演ってみませんかって、そんで今回の話になったんだよね。

    二位:また4月1日っていう日取りもエイプリルフールで面白いですね。

    森園:「嘘でした」なんてね。いやいや演りますよ。

    二位:そういえばこのイベントが決まったか、決まる寸前にローリーさんが偶然来られて、僕が「4月1日よろしくお願いします」っていったら「えっ! ここでやるの?」ってビックリされてました。

    森園:割と下北沢には出没するみたいなんでね。

    二位:あっ、そうなんですか。ローリーさんも下北人なんですね。

    ========

    二位:森園さんの下北の思い出というか印象は?

    森園:お店がよく変わります。僕が好きだったお店は、どんどんなくなったり、代替わりしてて、寂しいところもあるんですけど、まあ、賑やかな街ですよね。でも若い人がここへ来ると、たぶん何故か解放区だと思ってる節があるんじゃないかと感じることがありますね。ジベタリアン(地べたに直接座り込んで話したり酒飲んだりしちゃう人たち)発祥の地というか・・・何でも好きなことができるというか。ライブハウスっていうか、そういう演奏する場所も物凄くいっぱいあるし演劇とかもさかんだし当然それ関係の人間がたくさん来ると言うか居るでしょう?

    二位:そうですね。もう20軒以上ではないかと。

    森園:凄いよね。そんな私鉄沿線の街って他にないでしょ?僕なんか3軒くらいしか知らないけど・・・・。

    二位:僕が下北に来た25年位前だと下北沢ロフトのみでしたけど、凄い勢いで増えましたね。

    森園:何処にそんなにあるんだろうって思っちゃうよ。楽器持って歩いている子は沢山いるけど、そんなにバンドって沢山あるの? まあスタジオも沢山あるけどねここは。凄いよねえ。他に類を見ない・・・人もいつも大勢いるしね、で店の中もいっぱいかっていうと、そうでもなくてみんなただただ歩いてるっていうか・・・不思議!?不思議?!

    二位:楽器屋さんは減りましたね。

    森園:ちっちゃい楽器屋さんはあるよ。無くなったお店で251の上のアンディーズは凄くいいお店だったね。凄くい珍しいのも置いてあってね。そんな手が出ないほど高くもなくて・・・。

    二位:それこそ銭湯とかも昔は沢山あったんですよね。

    森園:王将のところがそうだよね。それから本屋さんが殆どないんだもんね。それ凄い話じゃない。それはちょっと悲しいよ。あとねえマックっていう食堂があったんだけどあそこも良かったね。あそこが無くなったのは相当ショックで。

    二位:店主がスティーブマックイーンを大好きなんですよね。

    森園:そうそうそう。いいオヤジさんだったんだけどねえ。そういうお店はねずっとあって欲しいけどね。

    二位:500円でラーメンとカツ丼と餃子が食べられる「はちや」も最高でした。おばちゃんの親指がスープに浸かってますけど。

    森園:まあ時間がたてば無くなるのもしょうがないけどね。この近くだと寿司屋の喜楽鮨ってのがねえオヤジさんが頑固でねえ凄く良くて、そこは代替わりして今は息子さんがやってらっしゃるけど。マグロの赤身がめちゃめちゃ美味しいね。僕は東京で一番旨いと思ってるんです。たまに白龍さんがきたりしてね。奥の方でね。渋くお酒なんか飲んでたりします。

    二位:僕は白龍さんとおなじ佐賀出身で25年前に東京にきたんです。

    森園:そうか、25年前に来たの。CLUB Queは何年? 始まった時からってこと?

    二位:はい、スタートの時からいます。それで17年くらいなんですけど、その前に屋根裏にいて、さらに前が芝浦のインクスティックです。

    森園:屋根裏は渋谷の?

    二位:あっ、いえ下北に移ってきてからですね。

    森園:インクにもいたんだ。じゃあジョニーのPINK CLOUDなんかも観てるんだ。

    二位:はい。1000人くらいを並べてましたね。22歳とかでペーペーで殆ど一人で「並んでくださーい!」なんて言ってました。

    森園:ああ本当。インクスティックは最初六本木にあったんだもんね。小さなクラブだったんだよね。あそこレッドシューズが作ったんだよね。

    二位:そうですね。西麻布にあったレッドシューズが最初で六本木インク、そして芝浦インクでした。

    森園:あのあたりに昔、ESTってイタ飯屋さんがあって、ゴールデンピクニックスっていうアイスクリーム売ってて、それが旨くてね、recordingの時いつもそれを買って行ってて結局それをそのまま四人囃子のアルバムのタイトルにしたんだよね。(ソニー、1976年発売 CSCL-1245)

    二位:へーっ!

    森園:その後にYMOの人たちなんかがレッドシューズ近辺(1981~1995)に出没しててね、よく坂本龍一さんとか見かけました

    二位:オーナーの松山さんは亡くなったんですけど。9年位前からまた場所を移してやってますね。話変りますが、僕らの20代の頃もそうですけど、行く場所が限定されてるから、色んな出会いがあって色んなバンドが出来て、個性的で多様なイベントに発展してたような気がするんですが。

    森園:それこそ金子マリの喫茶マリもかろうじてあったかな。

    二位:そうやって人が集まってきたんですね。

    森園:そうね、なぜか関西系のミュージシャンは下北に集まってたね。

    二位:誰が最初だったんでしょうねえ。

    森園:そうねえ住んだのは妹尾隆一郎くん(1949年6月17日大阪市生まれ。ブルース・ハーモニカの第一人者。約40年、ハーモニカだけを吹き続けている)が早いんじゃないかな。なんせ関西系muscianばっかりだったねえ。

    ========

    二位:さて、次はギターへのこだわりみたいな話を聞きたいんですが。

    森園:そうね、こだわりっつったって、ずっとストラトしか使ってなくて、だからフェンダーが長かったんだけど、3,4年前に仲のいいビンテージギターを扱ってる店があって。ギターズマーケットいうのが西荻にあるんですけど、そこでたまたま、昔はフェンダーに卸してたワーモスという会社の古いボディーとネック入ったって言ってね。そこの材料が入ってきて作ったんで、ちょっと弾いてみないかってことで、今使ってるソニックブルーのストラトを使い始めたんだけど。それがもう今まで使った中で一番いいやってなって。それから自分でちょっと手を加えて、それでその仕様を僕モデルとしてギターズマーケットで売るようになったんですね。
    http://www.wood-corp.com/gm/hg_oth.html

    二位:そうなんですか。材料っていうのは、つまり木材の質ってことですよね。

    森園:そうです。でも何本もないんだけどね。その材料もあんまりないんで。

    二位: そうですか。なんか感動しますね。男のこだわり。

    森園:旧い10年位前のワーモスだと軽くていい音がします。弾きやすいし。今はもうそれしか使ってない。

    二位:サブギターは?

    森園:あーもうじき出来てくるけど、なんでか知らないけど弦切れないんで、他はあんまり必要ないかな・・・。

    二位:そうなんですか。1本主義なんですね。

    森園:ってこともないけど。ま、ストラトってのはこれが中々面白いギターで、自分で手を加えることができて…まあついやり過ぎたりするんだけど。

    二位:カスタマイズしやすいんですね。

    森園:そう。全部ネジ止めだしね。ギブソンとかはあれ以上手を加えようが無いんでね。もう出来上がっちゃってるから。勿論fenderも出来上がってはいるけどGIBSONの場合はやるとしたらちゃんとしたビルダーの人じゃないとできないというか。勿論フェンダーでも難しいけど、ギブソンは殆どいじりようがない。せいぜいPU替えたりぐらいで、だからカスタマイズって程じゃないけど、フェンダーは基本ネジ止めなんでねじの締め方ひとつで音が変るんで、ちょっとずつ自分に近づけられるって言うかね。

    二位:ネックの裏の4本のネジのことですよね。

    森園:ま、特にそうだね。それで凄く違うのね。ネックとボディーの間に紙が挟んであって、それシムって言うんだけどそれによってもテンションが変わるのね。下手にいじると中々元に戻らないけど。僕も2、3本はダメにしたかな(笑)。基本GIBSONは職人さんが作るギター、Fenderはパートのおばちゃんでもある程度のとこまで組み立てられるように設計してあるって感じかな?

    二位:自分でやってもとより調子悪くなったってことですか?

    森園:そう。でも逆の話もあって、どうしても12フレットの6弦がボョヨーンて言っちゃうんですよ、弦高上げても下げても、そこだけ音が沈んじゃうんですよ。いつの間にか直ったんだけど。

    二位:えっ!? ああトライ&エラーですね。僕もバイクいじっててよくあります(笑)。

    森園:そう。そういうのあるよね。なんか他のところ調整している間に気がついたら直ったとかね(笑)。でもこれで悩んでる人多いよね。そうあと関係ないけどストラトって僕と同い年なんですよ。54年生まれで。

      二位:そうですか。それは愛着もひとしおですね。

    森園:35年は使ってるかな。買い換えながらだけどね。最初はメチャクチャなことやってて、ピックアップのボビンの高さは調整できないのに、お店の人にペンチかなんかで押せば大丈夫ですよって言われて、やってたら、ポーンてボビンごと飛んでって、よせばいいのにピックアップ3個ともダメにした事があって。それが最初の失敗。で、お店が責任とって取り替えてくれたんだけど、1個だけ在庫がなくてムスタングのピックアップを付けられちゃったりしちゃって。

    二位:森園さんにもそんな失敗談があったんですか~。でも、そうやって自分で挑戦することで学べることって多いですよね。

    森園:ほんとフェンダーのギターって技術の教材として本当にいいと思いますよ。電気と磁石の関係とかね、木工だけじゃなくて。色んな勉強になるね。

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    二位:音楽以外の趣味は何かはありますか?

    森園:映画が好きですかね~ううん。最近観たんじゃあハートロッカー※がよかったな、爆弾処理班の話なんだけどね。アカデミー賞かなんかとったんですよね。これはいい映画です。それと"世界最速のインディアン" 抜群です、何度見てもしびれます。でも"攻殻機動隊"も好きですよ。
    ※アカデミー賞に輝いた女性監督の話題作。イラクに駐在する爆発物処理班の話。視覚要素と心理描写が凄い。

    二位:そういう直接音楽に関係ないものが、自分の音楽に反映することってありますか?

    森園:いや、そういうことのほうが大きいと思いますよ。結局ただ音楽だけっつうのは、どうなんでしょうね?

    二位:若いバンド…いいバンド多いんですけど、音楽しかやってないなと思うことがあるんですよ。

    森園:まあ、それもそういう時期があると思うんだけど、それが無いといけないのかな? ってのも思うけど結局音楽以外のことが大事(笑)。それで音楽をつくるっていうか、音楽以外のすべてが音楽に影響するっていうか。勿論とことん音楽だけやってみて、ふと気がつくことかもしれないけど。

    二位:なるほど。僕ら音楽が好きというより目立ちたいが先でした(笑)。もっとも不純な世代でしたね。

    森園:それもそうだよね。僕らもそうだと思う。多分そうだと思う。ただ自分では出したい音があってやってると思ってんだけど、その向こう側にはそれで目立ちたいというのはあった。けど女の子にモテるって皆言うけど、それはあんまり実感がないつうか、あんまりそういう経験が無いというか(笑)。やり始めの頃はそれどころじゃなくて、それこそギターに一生懸命だったのかな。そういうチャンスがあっても気がつかなかったのかもしれないけど。

    二位:ストイックだったんですね。女の子でダメになったミュージシャン一杯いますけど(笑)

    森園:四人囃子始めた頃に野音でね、その頃だと楽屋に色んなブティックのお姉さんだとかがうろうろしてて、そのお姉さん達に「可愛いお尻してるわね」とか言われてムカついてたことあるけど(笑)…今じゃまた言ってくんないかなって(笑)

    二位:むしろですね(笑)

    森園:いったいこの人何やってんだろう? っていうお姉さんがうろうろしてんだよね。魔女みたいな人とか・・・ははは。

    二位:いや~そういうことも含めて30年でロックの環境も物凄く変わってるんでしょうけど、森園さんたちが10代の頃とかテレビやラジオでロックが流れることなんてなかったんじゃないですか?

    森園:ロックていうよりグループサウンズだしね。僕が中学校の頃にグループサウンズが下火になって、そっからロックバンドみたいのがというかグループサウンズの生き残りの人がロックに変っていったわけね、カップスのマーちゃん※や、モップスやダイナマイツ。あんまり一杯いないんだよね。その時期に辞めちゃったり、レコード会社の人になった人が多いんだよね。
    「※ザ・ゴールデンカップス:加部正義 のちにピンククラウド→ぞくぞくかぞく。ダイナマイツ:山口富士夫→村八分→ティアドロップス ザ・モップスはのちに個性派俳優と知られる鈴木ヒロミツが在籍した日本のロック黎明期のサイケデリックバンド。和田アキコが主演した映画、女番長野良猫ロックでその演奏シーンが見られる」

    二位:その辺の話は僕も生まれた直後でして映像か文章でしか知りませんが…。

    森園:そうだよね。僕の地元の先輩バンドがダイナマイツで、中学校の頃よく観にいってたんだけど凄まじい音でね。向こうの(海外)バンドは来ないし、たまに来てテレビとかで観るんだけど全然レコードと音が違うじゃない。迫力がなくて。だから向こうのバンドは下手糞なんじゃないかって思ってたんでね、ずーっとね。生で見るまでは。初めてロックミュージシャンで日本に来たのはジョン・メイオールでしょう。(1970年)。アニマルズとか別にしてね(1965年)。ギター2人とベースで3人でドラムレスでやってきてね。今は無き日劇でやったんですよ。
    「ジョン・メイオール:エリッククラプトンが在籍したり、飛び入りからメンバーになったミック・テイラーがいたが、ミックをローリングストーンズに奪われ、その後ジョンは3人でアコースティック編成でツアーをした」

    二位:もうこれを読む人の99%が体験できてない話ですね。今でこそライブハウスでもPAは当たり前ですけど、音響システムない時代ですよね。

    森園:初めてPAシステムを見たのは、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが武道館でやった時かな。何だあのでっかいステレオは!? という感じでね。
    (1967年にアル・クーパーを中心に結成された、ジャズとロックのミクスチャー。ホーンにリズムをを感じる重厚な音が特徴。1971年来日。現存するバンド)

    二位:ビートルズの武道館の時はPAが無いですもんね(1966年)

    森園:あったとしてもトーンゾイレが何本かでしょう。まあ聞こえるわけがないよね。
    ※トーンゾイレ:同じスピーカーをエンクロージャーの中に一列に並べたスピーカーシステム。極端な長方形になるため転倒しやすい。

    二位:想像以上に聞こえなかったらしいですね。

    森園:映像残ってるじゃない。上手いよねビートルズって。でもマイクがすぐ横むいちゃうのを誰も直さなかったのはなんでだろうね(笑)。ステージも30分くらいだもんね。

    二位:今みたいに2時間のステージとか無かったんですかね。

    森園:曲が短いしね。1曲ごとにお辞儀するのがいいよね。ベンチャーズとかも凄い好きだったんだけど、一度もそのころ生で観たことなくて、テレビで見てただけでね。まあ、ああいうのは日本人は好きなんだね。ギターバンドがね。

    二位:分かりやすいですからね。ところで本当に小さなころの生活環境がというか、音楽に携わる前の環境が影響したなんてことは有るんですか?

    森園:うちの両親は歌謡曲を聴かなかったんですよ、クラシックしか聴かなくて、ポピュラー音楽って言ってもアンディウイリアムスショウ(※アメリカのトーク&音楽番組(1962~71)日本では1966~69にNHKで放送された)とかそういうのしかなくて、洋楽に拒絶反応はないんだけど歌謡曲は家では流れなかったんですよ。それが幸か不幸かねえ…。でも5年生くらいのころは村田秀雄とかも好きだったなあ(笑)。ダークダックスとかデューク・エイセス(両方とも男4人のコーラスグループ)とかジャジーなコーラスグループとかあったでしょ。あれの方がNHKの紅白とか見ててもピンと来てたね。でも親があんまりクラシッククラシックっていうもんだから、それに反発したのもあるよね。

    二位:なるほど。そういうのはいつの時代も変わらないんですね。

    森園:もちろんクラシックも好きだけどね。

    二位:それはやっぱり、親の顔が後ろに行ってしまってから言える感じですかね。

    森園:あはは、そうだね。

    ========

    二位:僕もちょっとギター触るんですけど、今はYOUTUBEだとかネット環境のおかげで、コピーするのも相当楽になったと思うんですけど。

    森園:そうだね、それはラッキーだよね。僕が若いころにそういうのがあったら、進化するのももうちょっと早かったと思うんだけど。でまあタブ譜とかもないから自分の耳で探すじゃない。それで後からタブ譜見たらそのポジションじゃないじゃん…って。

    二位:そうですよね。あれ完璧じゃないですからね。

    森園:そう、だから、やっぱりコピーは耳でね、自分でやらないとね。指の練習も大事だけど、まず耳を作るのがいいと思うよ。

    二位:弦楽器って同じ音でもポジションによって響きが変わりますからね。

    森園:そうそう。ギターは何弦の何フレットで弾くかっていうのはすごく大事。

    二位:僕らカセットテープが普及した時代で、それを巻き戻したり早送りしてやってたんですけど。

    森園:僕らはオープンリールがあったから、それをね半速にすると1オクターブ下がるから、それでよくコピーしたよ。

    二位:あーそうだ! その技は先輩に聞いたことあります。が、もはや家庭用のオープンリールがなかったです(笑)。でも英語の習得用に開発されたテープレコーダーはオーバーダブできて面白かったです。これ一番聞きたかった話なんですけど、そうか~そうですねオープンリールですね。レコードの針を行ったり来たりさせてやるのは大変だなと勝手に想像してました。

    森園:レコードじゃあね。やっぱりオープンリールがあったのはラッキーだったね。普通のスピードで聴いてて早くて何やってるか分からないじゃん。それでスピード落とすんだけど、今度は遅すぎて何やっていうかわからないから(笑)。でもそうやてジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンをコピーしたね。

    二位:それでまたオープンリール壊したり…。

    森園:そうだね、1台壊したね。オヤジに怒られたね(笑)

    二位:やっぱり! 壊してナンボですよね(笑) ところで、この前若いギタリストが、チューニングが合わないんですよって言ってて、弾きっぷりは上手いんですよ。よく聞いたらCDと合わせてて弾いてて、曲が変わったり盤が変わると音が合わないと…。

    森園:それは…。

    二位:そうなんです、曲ごとにピッチが変わる概念がないんです。

    森園:曲ごとに変えることもあるけど、マスタリングでも変えるからね。

    二位:昔に比べると、そういうのも振り幅が少ないから気が付かないんですかね。というか先輩たちは、最後まであきらめないですね。

    森園:そうだね。まあマスタリングでピッチ替えたりオーバーダブしたりするからね。あのボビー畑さんってバンダイク パークスとかのマスタリングやったり、Van Halenでグラミー貰ってる人なんですけどね、そういう日本人の人がいて、もう何でもやるよっていってた。マスタリングでね。

    二位:凄いですね。

    森園:だからトラックダウンよりマスタリングのほうが大事だってね。

    二位:プリズムの時とかギターを完全に左右に振ってたじゃないですか。あれは…。

    森園:今あんまりやんないよね、ていうかあれはさっぱりした音だよね。もう録ったままだし、あれはあれでいいかなと思うんだよね。録ったまんまの感じっていうのはスタジオライブっぽいというかね。エンジニアにお任せだったね。

    二位:あの手法は僕らにとって、ギターをコピーするときに分離してるんで嬉しいんですけど、レコードが手に入らなくて友達なんかにカセットでダビングを頼むと片チャンネルしか入ってなくて、それでそれをずっと聴いているという、得なんだか損したんだかという現象が生まれてたんです。

    森園:あっそう(笑)。片側ケーブル抜けたままダビングしちゃって。

    二位:まあレコードを買えって話ですけどね。

    森園:プリズムやってた頃は、もう一度最初っからギターをやり直そうと思ってて、よく泊まり込みで練習してたよ。アキラ(和田アキラ:プリズムは日本初のフュージョンバンド)は朝から晩までずーっとギター弾いてたよ。だから速いからなあ、半速に落としても何やってるかわからないもんね。トイレと風呂、飯食う時あと寝るとき以外はずっと弾いてたよ。

    二位:ほんとにギターが大好きなんですね。

    森園:そうだね、好きを通り越してて、こいつなんだろうと思ったもんね。

    二位:森園さんが言うレベルですからねえ。

    森園:いやいや、僕なんかもう普段遊びほうけてるだけで、たまにギター弾いてね。家で弾いてるとなんか、そんな自分に違和感感じたりして(笑)。あいつはね~。ムシっていうのはこういうやつを言うんだなって。やっぱりあんだけ弾いてると、あんだけのことが出来るんだなって思ったけど。見てると簡単なんだよね。

    二位:ああ、そうですねえ。上手い人って運指も楽に見えますね、一生懸命にはみえないというか。

    森園:そうだね、必死じゃないよね。

    二位:そう、それで余計にこっちは分からなくなちゃうんです。

    森園:よくよく見るとさあ、僕は1フレットずつ動かしてると思ってたのがよく見ると2フレット飛んでたりしてさ。何だ全然違うじゃんと思って。

    二位:奥深いですね。

    森園:そうそう、Charが一度さあジェフ・ベックの家に行って、どうしてもどうしてもコピーできなかった曲があって、ちょっと悪いんだけど、どうやって弾いてるか教えてって言ったらしいの。で、こんな近い距離でやってくれたんだけど全然わからなかったって(笑)。やっぱりわかんなかったって言ってもう一回聞くのもねえ、さすがにはばかられたって言ってた。

    二位:さすがにCharさんも「more slowly…」とは言わずに…。

    森園:あと、すごくびっくりしたのはブルースやロックンロールのフレーズでツエンティンツイってあるじゃない、例えばAだったら3弦の7フレットチョーキングして1・2弦の5フレットを抑えるじゃん。ところが僕の好きなロイクの人がそれをやったら、まず3弦7フレットを人差し指でチョーキングして。

    二位:えっ!?

    森園:ね、それでえーーと、9フレットを3弦のまま弾いたんだよね。で2弦のえー8フレットを中指でチョーキングするのよ。えーそんな面倒くさい弾き方するのって。

    二位:解析不能じゃないですか。

    森園:でもそうやって弾くとやっぱりね、あっちのああいう雰囲気が出るのね。

    二位:あー…。

    森園:白人の人はみんなね~簡単な方じゃない。

    二位:セオリーとらわれちゃだめですねえ。

    森園:しかも、全部アップピッキングだからね(笑)。

    二位:そうですね黒人の人多いですよね。響き変わりますからね。

    森園:ヘンドリックスもねアップ多いよね。で彼は物凄いやわらかい弦使ってたんだよね。

    二位:そうなんですか。

    森園:フェンダーのF150ね、1弦は010なんだけど6弦は038なんだね。ベロベロじゃない。それをさらに半音下げチューニングでしょう。だからねチューニング狂うわけだよね。けど合ってる時のヘンドリックスのプレイは最高に調子いいもんね。

    二位:そうなんですよね。想像してるより完璧主義じゃないというか。適当に空気で…。

    森園:そう。だからさっきの話に戻るとE♭で録音してるのもあればレギュラーで録音しているのもあるもんね。

    二位:それもやっぱりカスタム心ですかね。

    森園:そうね、もうそん時の気分というかね。

    二位:もう自由度満載というか、縛りがないんですね。

    森園:凄く微妙なピッチのレコードもあるもんね。AとB♭の間とかさ。

    二位:ですね440hzで合わせてるわけじゃないですもんね。むしろそんな基準じゃなくてバンドの気分みたいな。すごくフレキシブルな話が聞けて嬉しいです。ところで、どちらかというと音楽自体を極めようとした森園さん達の後から出てきたPUNK ROCKは…森園さんから見てどう映りましたか?

    森園:パンクはねえ、最初はやっぱり厳しかったねえ。

    二位:まあそうでしょうねえ。

    森園:なんでー、なんでそんなにムカついてるのか分かんないから、なんでーと思ったけど。まあ、あとから事情を聞くとねロンドンなんかではね、ものすごく景気が悪くなって社会保障もなくなってきて、それまでの売れたロックバンドはブルジョアみたいになってて、若者にはあんまり信用されない感じになってたと思うんだよね。だから無理もないなと思って。だけどそれを日本にいると上辺しかわかんないじゃない。でもたまたまジョン・ライドンてSEX PISTOLSの。彼がPISTOLSを辞めてPILで日本に来た時に、たまたま友達が全部のコンサートのビデオを録ることになって、それで僕もそれにくっ付いていって、何回かライブを観たり話したりして、もっとシリアスなんだなあって。ほんとイギリス厳しいんだってなって、それで理解はできたっていうかねえ。けどそんなにグレちゃうんだって。ピストルズが解散して3年くらいあとかね、理解できるようになったのは。最初は刺激が強すぎて。ちょうど78年くらい? ニューウェイブとかも出てきだしたころで、僕はもうスティーリー・ダンとかいわゆるAORっぽいロックが物凄く完成度が高くなってて、もうそっち一辺倒だったから、逆に信じられなかったんだね。ダニークーチってひとはその中でもパンクっぽい事やってたんだけどね。ジェームス・テイラーのバックやってたひとね。その人の感じでちょっと引っかかってはいたんだけどね。エルヴィス・コステロとか、あれスタイルカウンシルの前なんだっけ。

    二位:JAMですね。

    森園:そうJAMとかは聞いてたよ。あとスティングねソロの最初凄い良かったよね。あれはちょっとパンクじゃないだろうけど。

    二位:僕なんかが中高生のころがまさにそういう時代で、そこ基準みたいのもあるんですけど、やっぱり音楽はさかのぼんなきゃと思って、どんどんそれより前の音源を探っていくんですけど、そしたらエルヴィスまでたどり着くまえに凄く難しくなってくるんです。機械とかは時代を遡ると簡単になるんでしょうけど、音楽は難しくなるんですね(笑)。

    森園:いやポリスでもさあ簡単そうに見えるけど、すごく計算されてるからさ、あれ上手いもんね。アンディ―サマーズなんかあれアニマルズの最後の方にいたんだよね。あの人凄いよねadd9を世界中に広めてさあ。彼と…。
    ※アンディ―サマーズ:アニマルズ後期メンバーからPOLICEのギターを担当。独特のアルペジオと分散和音やディレイやコーラスなどのエフェクターをつかってポリスは、パンクムーブメントの中からスターダムにのし上がった。

    二位:U2のエッジ。

    森園:彼なんかディレイが無くなったらどうすんだろうねって思うけど。

    二位:四人囃子が出た70年代前半と、あのあたり80年代前半でギターのアプローチがまた変わりましたよね。

    森園:ああなるのも無理ないというかね、だって上手い人は極端にうまくなった時代だから。

    二位:ちょうど機材もエフェクターなんかが急激に発展したんじゃないですか?

    森園:コルグのディレイとかね。あれまた高いもんね今。僕ダニエル・ラノワ(U2、ボブディランなどを手がけたプロデューサー)って人が大好きなんですけど、新しい二ール・ヤングのアルバム(ル・ノイズ)もやってて、ギター1本と歌でやってるんだけど、色んな音すんだよね。困った人だよね。やばいと思う(笑)。

    二位:凄いですよね。削ってるんだか埋めてるんだか。ところで長く音楽をやって大変だったこともあると思うんですけど、人間としての克服する方法って言うんですか、どうやって越えてきました?

    森園:え~克服? そうねえ。あきらめるのも肝心だよね(笑)。

    二位:予想とと反対側の答えがきました(笑)。

    森園:もうとことんやって、やっぱ駄目な時はある時点で見切りをつけることも大事だよね。

    二位:あああ。

    森園:好きなこととさあ、自分ができることは違うじゃない。それは自分にもあって、はっきり分かったっていうか。

    二位:それは好きなことをそのまま出来るわけじゃない…てことですか?

    森園:どうしたって、その好きな人になれるわけじゃないし。

    二位:逆にそこにオリジナリティがあるんですかね?

    森園:う~ん。オリジナリティってねえ。俺はあんまりこのての音楽のオリジナリティってあんまり信用してなくて(笑)。ていうより癖だと思うんだよね、その人の…うん。そんな大そうなもんじゃないと思うわけ。

    二位:はあ…深いですね。

    森園:なんか「それは君の癖なんでしょう」みたいな感じがするんだよね。だってそもそもそんなに凄いことやってるわけじゃ無いじゃない、そんなに人に自慢できるような事じゃないって言うかさあ。まあそん中でも色んな味とかさ、演ってる中であるけど。やっぱりち小っちゃな頃からバイオリンとか訓練している人からすればさあ、ちょっと次元が違うっていうか、そのシリアスさがないのが、こっちの音楽の救いだから、そこでそんなシリアスにやるのはちょっと場違いなんじゃないのかって思うわけ、俺なんかは。

    二位:ううう…。

    森園:前からなんか感じてて、インタビューでも誇張して聞かれるんだけど、そんな大そうな事じゃないんじゃないと思ったりもするわけ。勿論ウォーと思うこともあるんだけど。今あんまり言わないけど軽音楽じゃん。

    二位:はい、はい、はい。

    森園:だから軽いわけよ。基本的に軽いわけよ。僕らのは。難しいこと言わないで聞けるはずなのに、それを難しいこと言いながら聞くのもひとつのアンチテーゼみたいでさ、なんかニューロックとか言われ始めたんだけど、やっぱもとはロックンロールだからさ。もっと言うとリズムアンドブルースだからさ。

    二位:森園さんがそれを言ってくれると、色んなミュージシャンが楽になるような…。

    森園:いやいや。僕らだって踊ってくれるのが一番嬉しいもん。演奏聴いてね。

    二位:やっぱり答えはお客さんですか。

    森園:そうだね。ただ東京のお客さんがちょっと損してるのは、バンドを客が乗せるもんだってのをあんまり知らないんだよ。

    二位:えっ!?

    森園:バンドなんてみんなシャイで、人前でそんな何にもできないけど楽器もつと一応カッコ付くような人間ばっかりじゃん。

    二位:そうですね、コミニケーションあんまり取れないから楽器弾くみたいな。

    森園:そこに逃げちゃうやつ多いじゃん。失語症っていうかさあ、だからバンドが面白くなかったら、かえってヒョウヒョウとか言って茶化すとバンドが調子に乗るんだよね。関西行くと必ず乗せられちゃうんだよね。あの人たちはお金払った分楽しんで帰ろうとするから。

    二位:そうですね。良くなかったら茶化して帰ろうと。東京は黙って帰りがち。

    森園:そう一番困るのは、面白かったか面白くなかったかわかんない時。つまんなかったらつまんないって言えよって。言うとバンドももっと面白くなると思うんで。

    二位:言われたほうが、ウケて無いって分かりますもんね。言われないと成長もしないでしょうし。

    森園:退屈なのかわかんなくって、けどアンコールきたりして、訳わかんないしね(笑)

    二位:じっと聞くのも有りといえば有りですけど。手元みたいーみたいなお客さんもいるんじゃないですか?

    森園:そうね。昔はいかにお客さんをシーンとさせるか。四人囃子の頃はそうだったよ。あの頃は何でもいいから騒ぐやつが多かったから、客をポカンとさせるのが、なんつうの…モットウだった(笑)。

    二位:でも、なんかしら喜怒哀楽のどれかあればいいですよね。まあ怒るのはちょっとあれですけど。

    森園:まあ洒落がきいた音楽ができればいいよね(笑)

    二位:四人囃子の曲名やアルバムタイトルにそれを感じますね。遊びすぎてるというか。

    森園:ねえ。多分に子供っぽいところもあるんだけど、でもまあよくやったよねあの歳で。あのバンド振り返って構成力はあったなって思うよ。

    二位:とにかくバンド演ることが楽しくてしょうがなかったんじゃないのかなって気がします。

    森園:大変なところも有ったんだけどね。でもみんなそんなに苦労しなくても済む環境にいたから出来たようなもんだよね。あの、それが僕らが地方出身で東京へ上京してきてどうにかしなきゃいけないような状況だったら、あんなこと出来なかった。

    二位:おおお…。

    森園:それは僕ら東京人がニューヨークでやろうみたいな話じゃない。そりゃ大変なことだよね。

    二位:後には引けないようなプレッシャーはあまり無かったってことですか。

    森園:うん、全然ない(笑)。そのなんか、お気軽さがああいう風になったんだよね。そりゃあもう親にも感謝してるけど。ティン・パン・アレーの人もそうじゃん。澄ましているからわかんないけど、ふざけてるのは…いやヒドイヨ(笑)。

    二位:そうなんですね。僕は九州人で上京組なんですけど…。ふざけ具合はひどかったですが。

    森園:あっ僕はおとうさんが九州だけど。

    二位:あっそうなんですか。それで九州ってこうじゃなきゃ駄目って言うのが凄くって。

    森園: 博多は上下関係厳しいんだよね。

    二位:そうなんです、博多じゃないんですけどその洗礼をくらうわけですけど、だからか最初は凄く東京の人は自由に見えたんです。それにプレッシャーは多かったかも。

    森園:自由ね。けどロックミュージック自体みんな自由な音楽って思ってるけど、実は自由なんて無いじゃない。ちゃんと聞けるもんにしようと思うと自由なんて無くなって、だって音楽ってのは縛りだから。それはずしたら聞いてらんないし。

    二位:そうですねえ。

    森園:そこら辺、最初カン違いすんだけど、だったらジャズやったほうがいいよね。ジャズのほうが縛りが少ないから。

    二位:やっぱりポピュラー音楽ほど縛りが多くなる気がしますね。

    森園:そうだよね。聞いて楽なものはそんだけアボイドするものが多いって言うかね。面白いもんだよね。自由といえば泉谷しげるとか遠藤賢司のほうが自由だよね。

    二位:それありますね。

    森園:しかもロックのこと詳しいしね。フォークの人って案外そういう人いるんだよね。ものすごい詳しい。

    二位:フォークの人も優しいかと思ったら怖い人いますよね。ところで学生運動真っ只中じゃなかったんですか。

    森園: そう真っ只中。だから大学行ってないしね。だってやってないんだもん、大学が営業してないんだもん。一応開いてはいるんだけどね。ドラムのお父さんは大学の教授だったけど、お前らは行かなくっていいからって言われて、その一言で気をよくして…。

    二位:楽器に没頭できたと。

    森園:そう。ぼくが行ってた高校が一番最初に紛争校だったんだけど。都立武蔵丘って高校なんだけど、入って一学期だけだよ制服を着ていったのは。2学期から制服廃止になっちゃって。

    二位:僕らはいわゆる校内暴力全盛でしたけど、きっとそのレベルじゃないんですよね?

    森園:そうね悪い先輩に何度か脅かされたことはあるけど、こんなハイカラーの先輩にね(笑)でも都立だよ、都立でそんなことやってんだからさあ。その一番怖かった人は実は四人囃子のベースの中村君の友達だったんだけどね。

    二位:わあ、そしたらその後は楽勝ですね(笑)。

    森園:あはは。

    二位:では最後に、今回4月1日のライブに向けて、初めて見る様なお客さんに何か一言お願いします。

    森園:けしてノスタルジーでは終わらないような、今のものとしてやりますので、是非ご家族お誘いあわせの上ご来場ください(笑)。

    二位:ありがとうございました、勇気のわく話が沢山聞けました。

    森園:いや~面白かった。君はギター何持ってんの?

    二位:アイバニーズの…。

    と、夜更けまで話は弾みました。
    2011年4月1日(金)
    タイトル:Goodnews production presents emergency benefit 「CARRY ON」(仮)
    (当公演はチャリティイベントになります。)
    参加メンバー:ROLLY、岡井大二、長沢ヒロ、中村哲、森園勝敏、坂下秀実
    金子マリ、北京一、大西真、関雅樹、A、Dag Force(順不同・敬称略、3月24日現在)

    開場16:30(予定)
    入場料 ¥1000以上いくらでも(1ドリンク代別)+被災地への募金 


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