ZtZ後藤:aireziasというバンドはコンセプトをかがげているわけですが。

栗原:『屋根のある音楽』と『組み立てる音楽』の2つコンセプトにあります。

ZtZ後藤:これはどういった事?

渡辺:『屋根のある音楽』なんですけど、これどうでもいい話なんですけど…。『天井がある、伸びしろがそこまでない音楽って。そんなんでやってんの?』てよく友達に言われます(笑)。それ以上いけないじゃんって。これはそういう意味じゃなくて。

福永:その友達は逆に想像力豊かだね。

ZtZ後藤:誰かにとって屋根となる、ていう事ね?

栗原:聞いた人が安心出来るような。

福永:屋根があるだけで全然違うじゃないですか?雨もしのげるし。部屋の中にいる安心感、外に居るときの不安感…、なんかそんな帰ってくる場所みたいな音楽でありたくて。メッセージ性とか音圧だったりとか、そういう方向性で行くバンドでは(aireziasは)無くて、じゃあ我々がコンセプトかがげるとしたらそうしようかと、得意分野かと思ったときに…、帰ってくる場所…『あー疲れたなぁ』って部屋でBGMとしてairezias流して。別に真剣にヘッドフォンとかで聴かなくっていいんで、作業しながら聴いているというか、脇役的な立ち位置で誰かの生活の役になれたらなと。生活のBGM。

渡辺:屋根のある、っていうより、屋根となる、くらい?

福永:この言葉自体、語感というか、含みがあって欲しいし。これで興味持ってくれる人が居たらって思いますし。

ZtZ後藤:「組み立てる音楽」っていうのは?

栗原:聴く人の日常を引き立てるピースの一つとなって色を足すことの出来る生活のBGMですね。音楽が一つのピースになって、聞く人の生活の一部になって。彩っていけるように。

渡辺:めっちゃ(自分達を)主張しているようなバンドだと、それこそ音圧だったり曲だったりそういったもので完結できちゃうんだと思います。その曲が主体になって、例えば町で聞いてても、その町が主役ではないと。aireziasはそうじゃないなと。もっとフラットにというか。

栗原:他のものと一緒になって、組み立てる、組み合わせるというか。

福永:それこそもうかっこいいバンド一杯いますし。ウチはもういいかなって。

一同:笑

福永:エッジの効いたギターサウンドとか、俺らの得意とする所じゃないですし、そういうのってクラスにいたら『おい!体育館空いたからバスケしようぜ!』ってタイプで。ストーブでヌクヌクしてるような奴らがやることでは無いなと。なんだろ、主人公ではなかったし、これまでの人生で。だから音楽もそうなっちゃうのかな(笑)。凄い後ろ向きだな。

ZtZ後藤:でもそういうのって大事だ。ドラマもさ、1人称2人称があって、3人称だって絶対必要で。3人称の中の主役なんだよ。で、要はさ、家を作りたいんだよね?町作りたいんだよね?

福永:そうですね。

ZtZ後藤:自分達が例えそこに住まなかったとしても、誰かの家になればいいんだよね。

福永:それいいですね。

ZtZ後藤:その町はさ、楽しいんだろうけど、哀しさもあって。何かさ、優しいんだろうな、aireziasは。

福永:恐れ多くも寄り添いたい。『俺は君の傍にいるよ!』てな事は歌えませんので。我々みたいなバンドは。

渡辺:『傍にいるよ』とは言わないけど…。家というよりはどっちかっていうと町なんだろうな…。人の繋がりっていうか。例えば、同じ町に何人か住んでて、その人たちが凄く仲が良い訳ではないんですけど、同じ場所で生活していて。その人たちの…、そう、近くに来て、寄り添う。もう少し精神的な繋がりがメインの、そういうスタンスですかね。

栗原:素直じゃないですよね(笑)。

福永:俺が受け取り手だとして、例えば『愛してるぜ』って言っても、その愛はスッと入ってこない。『寄り添うよ』って言われてもなんか…『何その優しさの押し付け?』ってなって、そういった捻くれた解釈をしてしまって。そういう人って俺以外にもいっぱいいると思うし。aireziasはわりとそういう人が何となく揃ったような。回りくどいからスッと入ってくる事もあるだろうし、ストレートに言うからすっと入る事もあるし。ストレートなメッセージを打ち出せる人と……なんだろう…。…ストレートな事を俺も言いたかったんですけどね。でもストレートで突き刺すのってそれはそれで一つの才能だと思いますし。また暗くなんな(笑)

ZtZ後藤:いいじゃん、暗くても。

福永:そういう、クラスでいったら中央で明るくて、カッコいい人たち、それも一つの才能じゃないですか?頑張っても、そうはなれないし。あれは、そういう個性で。俺はそういう個性に憧れていた事もあるし、逆にめっちゃ芸術的な絵とか上手い人とか、普段全然喋んない、でも美術の時間だけは輝いててっていうタイプもいて。その、そういうどっちのタイプでも俺はなくて。ごく、中途半端な所に居まして。すごくカリスマ的な人ってほんの一握りで、そうじゃない人の方が圧倒的に多くて。そうじゃない人にとってそんな『寄り添うよ』とか『愛してるよ』とかって言われても、凄い胸を打たれるんだけどちょっとこう、痒いところに手が届かない部分があると思って。俺が言い当てたいのは凄い、この辺の部分に当てたいから歌詞を書いてるし、aireziasっていうバンドはこういう人間が集まったから、どういう音楽をやるかってなったら、こういうのが得意分野だから、中途半端さを武器にするしかないなと。

ZtZ後藤:中途半端さを一所懸命やるしかないなと。

福永:ステージの上にいるとしてもカリスマ的シンガーになりたいんじゃなくって。あくまでも同じ目線でいたいです。



ZtZ後藤:でもaireziasの凄いところはさ、落ち着いて聴ける所。でも歌詞を深く読み取ると儚さがあって。一種の詐欺的なものを何重にも仕掛けているよね。それが実際ライヴにも反映されてて。ライブ自体もさ、あおるでもないし、暗くもないし。皆が安心して楽しめる雰囲気を作るよね。何か気をつけてることとかは?

福永:ずっとどう見せたらいいか悩んでて。最近はやっぱライヴやってると自然と楽しくて。その自然観が出たらいいなぁと思うのと。あと、こっちがワクワクしてるから皆が楽しい、って持って行きたくて。

渡辺:さっきのカリスマの話になるんですけど。カリスマって、一種"創って"そういう皆が見つめるものの存在としてそこに居て。一方的に見つめる形になってるのかなと思ってるんですけど。お互いの繋がりがある人もありますけど。さっきカリスマにはなれないって言ってたんですけど、自分達が楽しくって見てる人も楽しいなぁっていうのって、その集団の中にいる自分達って事じゃないですか?どっちかっていうと1対大勢じゃなくって、1対1対1対…ていう形を目指してるのかな。だからこそ自然体でやろうと俺自身も思ってるんです。前は結構ライヴ、『バシっとやろう!』とか…。

栗原:無理してたよね?

渡辺:メンバー、周りが大人しめに弾いてるから、俺はちょっと動いてみようかなとか。そういう事ばっか考えてたんですけど。それだとうまくいかなかったんで。自分達も楽しくなかったですし。じゃあ自然体でやろうと。

福永:高校の時からずっと、aireziasは若いバンドだからって『覇気が無い』って言われてて。『もっとハツラツとやろうよ』とかちょいちょい言われ続けていて。俺も確かにとは思っていて、もっと元気にやんなきゃなとは思ってたんですけど、そう、やんなきゃなっていうのもおかしいし、そんなバンドじゃないもんなって。

ZtZ後藤:それも立派なキャラクターだって。

福永:『自然にやろう』って何となくの合意が(俺達)出来てからライヴ、ハツラツとしています(笑)

栗原:俺達なりのハツラツさ、ですね。

福永:そうなってからライヴも良くなってきて。ノッてる気持ちもこう、自然にお客さんに感情が伝わるというか。ライブに来て、あー良かったなぁってほっこりした気持ちで帰って頂けたら嬉しいかなと。

渡辺:去年の3月に震災があったじゃないですか?計画停電とかあって。停電したときに俺、外に出たんですよ。そしたらもう何にもついてなくて。でも、晴れてた日だったんで、月が綺麗で。月の灯りだけでも相当周りが見えるんですよ。aireziasの自然に出る方向っていうのは、太陽の優しさじゃなくって、月の優しさなんだろうなって思って。太陽って凄い輝いてるし、それなりに曇ってる日でも太陽があるっていのは判るし、暖かいし、それは確かに優しいんだろうけど、拒否出来ない優しさだと思ってて。それも1つ優しさの形だろうし。もっとマニッシュな。でも俺達はそうじゃなくって、月なんだろうな。

福永:月ってずっと居るもんな。

渡辺:月って結構、わかんないですよね。昼だったら見えない時もあるし。居るには居るんだけど。夜も、街頭ついてて、明るいから、月の灯りにも気付かないというか。でも、ふとそういう明かりを全部消して、外に出てみると、実は物凄く光ってて。月の光っていうのは太陽とは全然違う優しさというか。

福永:月の光は影を作らない。

渡辺:俺はあの時外に出て良かったなと思ったんですよ。震災おきて、個人的に焦ってたんですよ。意味もわからず。でもその灯りを観てホッとしたというか、それこそ「屋根のある」っていうのを感じて。それがaireziasが自然と出せる優しさの形に近いのかなって。 歌詞もそうで、気付かないと判らないし。だから明かりを消さないと灯りに気付かない。