【GHEEバンド結成に関して、ツインボーカルになった経緯など】
深沼:GHEEE何年目?
近藤:8年くらい。
深沼:8年やってるんですもんね (笑)。
近藤:2007年1月かな。前の年の12月にリハ入って。
HISAYOちゃんが来たのが1月だから。
原:その前までは2人で?
深沼:3人。本当はねYANAと3人で演る予定だったの。
原:そうなんですか!? 近藤さんがベースボーカルで?
深沼:そうベース。元々PEALOUTでベース弾いてたでしょ?
近藤:最初のコンセプトはそうだったね。YANAと2人で話してて…。
深沼:そうそう。で、近藤さん誘って3ピースのツインボーカルでっていうコンセプトだったんです。
近藤:けど、俺は最初からベースはやる気が無くて…。PEAL OUTと同じ編成だからいやだなって思っ
て…。ちょうどその頃にHISAYOちゃんと知り合って、HISAYOちゃんカッコ良かったから、ソ
ロとは別になんか一緒に演れたらいいなって。そしたらGHEEEの話あったから、それで。
深沼:その地点でコンセプトが全然変わってきちゃって(笑)。
近藤:1月にスタジオ入って、それまでは「やっぱベースは近藤さんじゃなきゃ嫌だ」って言われてたん
だけど、1回HISAYOちゃんが弾いたら一切俺の話が出なくなった(笑)。
一同:(笑)。
近藤:あんだけ俺のベースを推してたのに、急に話が出なくなった(笑)。
深沼:「3ピースじゃないとダメだ」って言ってたのに(笑)。
原:元々のコンセプトはPEALOUT、PLAGUESを踏襲する3ピースだったんですね。
深沼:えぇ。90年代にそれぞれPEALOUT、PLAGUESとやっていて、それにZEPPET STOREのYANAさ
ん。そこから1人ずつで集まって組んだ3ピースバンドやったら面白いかな~みたいな感じだっ
たんですけど。HISAYOちゃんがベースを弾いたら「…これでいいじゃん」って思って(笑)。近
藤さん弾きたくないって言うし(笑)。
深沼:その勢いで初ライブやる前にレコーディングしてましたね。
近藤:4月にはレコーディングしてたかな。
深沼:初期の代表曲「Beautiful stungun」という曲があって、これを初のリハで合わせたんです。で、
こういう感じでっていう、なんとなく考えがあって、3ピースというコンセプトは狂ったんです
けど、そのまま「これで行こう」みたいな感じのノリで(笑)。
近藤:初ライブの時には、ほぼレコーディング終わってましたね。
原:ツインボーカルっていう考えはいつからあったんですか?
深沼:それは最初から。
原:曲ごとにリードボーカルが変わるっていうんではな
く、2人の歌が絡み合う感じが凄いです。
深沼:そうそう。やっぱり作曲や段階で、ここからボーカル
が交代するみたいな感じで曲作りをするっていうのは
今までと考え方が変わるので。それで自分でも他でも
ソロとかPLAGUESもあるし、いろいろ曲を書くんだ
けど、それによってGHEEEはGHEEEの曲を書くという意識で書けるところがあるんですよね。
「ここで近藤さんがきて…」そして曲として成立するみたいな。
原:それってなかなか難しいことではないんですか?
深沼:いや、むしろそれが楽しいと言うか。なんていうか、リードボーカルが途中で変わる事が一種の
演出というか・・・ミュージカルみたいな。
二位:アマチュアの発想じゃないですね~。
深沼:それまでのバンド、PEALOUTだったりPLAGUESだったりZEPPET STOREだったりは、なんて言
うか、そのバンドでプロになっていったわけで、みんな友達だったのが一緒にプロになってね。
アマチュアだったのが切磋琢磨してデビューしたんだけど。GHEEEの場合は既にプロミュージ
シャンなわけですよ。最初からプロミュージシャンが集まって、出来て当たり前のさらに先を4
分の1の責任でやれるバンドをやりたかったんですよね。フロントマンなんですよね4人とも。
90年代に結構規模の大きいバンドをやってきて、そういう中の4人が集まって「4分の1の責任で
みんなで楽しんでやれるバンド」というのをやりたかったんですよね。
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