「バンドを演りたいな~」って思い出した頃ってどんなでした?

 

加藤: 最初は夢中なだけだったよ。単純に皆と合わせてるだけで楽しくて。うわ、今ハモりばっちりだっ

    た。とかそういうとこに楽しみを見出していたんですよ。ある時、YAMAHAのコンテストに出て、

    曲を自分で作ったんですよ、それはポールマッカートニーを追ってったら17歳で曲書いたっていうん

    で、やばい僕も17歳で曲書かないとポールになれないとか、そんな感じで書き始めてて、20歳くら

    いの時に地元の楽器屋がYAMAHAのコンテストを主催していて、オリジナル曲で出てみようと思っ

2010.10.11 -oneman-    て。そこですごい褒められたんですよ、曲をね。それがす

    ごく嬉しくて。

二位: それからですね、俄然やる気になったのは。

加藤: そうそう。演奏は上手いとかビートルズに似てたとかは言

    われるけど、自分が作ったものに関して、かっこいいよね

    とかそんなこと言われたことは一度も無い時に、コンテス

    トで言われたから余計自信もっちゃって。それからですね。

二位: だんだん欲出てきますよね。

加藤: そうそう。もっとやってやろう、もっと凄いの作ってやろうって思うようになりましたね。

二位: でも初期のそういうタイミングってメンバーとの温度差みたいなのが出てきたりするんじゃないですか?

加藤: うーん。若い時って褒められただけで天狗になるんでね。妙に自分だけいばっちゃってね。バンドの

2010.07.15 with     中でだんだん扱いにくい人になっちゃったんだろうね。

二位: それでも続けようって思ったのには何かあったんですかね?

加藤: まぁ、楽しかったんだよ。楽しみはそれだけしかなかったっ

    ていうか。

 

二位: それからすぐライブハウスだったんですか?

加藤: 20歳くらいの時は、熊谷の楽器店が熊谷市民ホールで2ヶ月

    に1回程度でイベントを主催してたので、エントリーしてラ

    イブしてましたね。あとは、ライブハウスが無いので、近所の音楽マニアがやっている喫茶店で日曜

    日とかにPA持ち込んで、店主も出る中そこに出たり。大学の3年生くらいから、渋谷の屋根裏とかに

    デモテープを出すようになって。そしてライブハウスに出れるようになっていくって流れかな。

 

二位: コータローさんは?

古市: 僕は、学祭ですね。その頃は岩手に居て、先輩のバンドに居たので。友達とも組んでたんですが。そ

    の頃は、少し弾けるようになっていて。その頃ペンタトニックスケールの表を雑誌でみたんだよ。そ

    れをインプットして練習でパンクの3コードの曲の時に実験的にペンタトニック入れてみたんだよ。

    そしたら、アドリブがすごい決まって。その時に、自分で自分の筋がみえたと思っちゃって。たぶん

    色んなフレーズを聴いて頭の中で覚えていてそれが直結してたんだろうな。今、分析してみて思うけど。

    その時は調子に乗ったね、僕も。

一同: 笑。

古市: 他の人は完全コピーでギターソロやってるけど、僕は全然違うソロ弾いてるわけだからね。

二位: そうか。そうですよね。

古市: 皆はレコード聴いた、そのまましか出来ないわけだからね。

二位: それを実験的にやってみようと思ったのは、ペンタトニックスケールを見たから?

古市: そうそう。それでソロであれやってみようって思った。

加藤: そしたら、上手いことするするいっちゃって?

古市: そうそう。

 

二位: なるほど。そこからライブハウスまでの道のりがあると思うのですが、時代的にはまだそんなにライ

    ブハウス無いですよね。

古市: 僕、岩手なんで無かったですね。GIGっていう喫茶店があってそこがライブハウスになるんですよ。

    そこでバンド練習してました。マスターに今度出してよって言って、出してもらったり。そういうの

2010.01.17 -oneman 2days-    がライブハウス初体験だね。

二位: チケットとかどうするんですか?

古市: 手売りしたね。

二位: 幾らくらいの?

古市: 700円とかかな。

二位: そうですよね~! ヘタすればチケットも自分たちで作っ

    てましたもんね。

古市: 僕、持ってるよたぶん、当時のチケット! 探せば。手書

    きの原盤をコピーしてね。

加藤: そうだよね。熊谷に一時期本格的なライブハウスがあったんですよ。「木偶in洞」っていうライブハ

    ウスで、それが八木橋デパートっていう熊谷の中心にあるデパートの地下にあったんだよ。ちょうど

    中学でビートルズに夢中になった時に、エレキギターって生で聴くとどんな音だろうとか思って、そ

    ういうライブハウス があるぞってのは噂になってて、プロのミュージシャンとかも来てたみたいなん

    ですが、中学生は出入り禁止だったんですよ。だから地下の階段で中から漏れてくる音をずっと聴い

    てました。これがエレキギターなんだ! ドラムとかあるとすごいでかい音なんだな! とか。たま

    たま聴きに行ったときにビートルズのコピーバンドが知っている曲をやっていて、上手い下手とかあ

    まりまだわからないから、これ生で聴くとかっこいいな! って思いましたね。

 

※ 1973年、熊谷に地元の文化人グループ「木偶(でく)」の企画でライブハウスを作る話が浮上した。東

  京のベッドタウンに甘んじず、文化を育て発信しようとしていた。これに地元の老舗百貨店、八木橋が賛

  同し、使わなくなった店の地下を改装して無償で提供し、ライブハウス「木偶in洞」誕生する。

  そのオープニングライブにハーモニーが抜群の4人組のバンドが登場した。全員高校生。後にスターダス

  ト・レビューを結成する2人がここにいた。

  当時、県立不動岡高校に入学したばかりだった根本要さんと柿沼清史さん。根本さんは中学3年の時、坊

  主頭で出た地元のバンドコンテストで優勝して、すでに、熊谷ではスターだった。

 

二位: それ、当時の世の中的にはだいぶ悪いお子様ですよね?

加藤: そうそう同い年のスターダスト・レビューのメンバーはその時点でその場所に出入りしていたって言

    うので相当の悪ですよね。

一同: 笑。

加藤: だから一番最初のライブハウス体験っていうと「木偶in洞」ですね。14、15歳くらいの時。中は覗

    けないからアンプは見れないし、楽器店にしか見えないし、どんななのかわかってないけど、それが

    最初ですね。

 

古市: 僕は中2の時、屋根裏に行った気がするな。その頃、池袋のヤマハ楽器のステージに出てるバンドを

    好きになっていて屋根裏に出るからおいでって言われて行った気がするな。

二位: 怖くなかったですか? 狭い階段とか人柄とか。

加藤: 怖かった。僕は屋根裏には大学の時に初めて出してもらったけど、下がキャバレーで呼び込みの人と

    かいて、そこの間ぬってアンプとか運んで、なんか嫌なかんじだったなぁ。

古市: そういった面では、僕は繁華街で暮らしてたから、ライブハウスも怖くなかったし、ディスコとかも

2010.01.16 -oneman 2days-    全然怖くなかったな。

二位: もうナチュラルにそこにあるものということです?

古市: そうだね。全然そこにある。

加藤: うちは田舎だから、熊谷にもキャバレー街とかあるんだけど、

    子供とかってそこに足踏み入れないからね。

二位: そりゃ別世界ですよね。

加藤: なんだかね。なにされたわけでもないんだけど。

二位: お化け屋敷みたいな。安全なのは分かってるんだけど。

加藤: それがちょっとあったね。いつも。

二位: なるほど。それからライブハウスへ実際足を踏み入れて…。

加藤: 昼の部から始めて下さい。って言われて。チケット30枚以上売れるようになったら、平日の夜のブッ

    キングを考えますよ。って言われて。

 

二位: ずいぶん厳しいですね。

加藤: 厳しいですよ。僕らがやり始めた頃は、屋根裏は下火になってて。逆に新宿LOFTの方が盛り上がっ

    ていて、LOFTの夜の部に出たいねって言うのがその時の目標だったんだけど、大学の時は出れな

    かったね。日曜の昼間とかしか出れなかった。屋根裏の方が早く夜の部に出れたかな。その頃は、ラ

    イブハウスでしかデビューの道はない、後はコンテストしか。レコード会社の人の目に留まるために

    は新宿のルイードとかeggmanとか、そういう名の知れたライブハウスに出ないとダメだよと周りか

    ら聞いてたので、そこに立つのがほんと夢だったね。

古市: 無かったからね、そういうライブハウスが。

加藤: そうだよね、しかもそういう老舗のライブハウスってプロのミュージシャンがやってたから、なかな

    か出れないし。

二位: 数が少ないライブハウスがさらに今よりそれぞれ特色を持ってたから、その中で出たいとか出る意味

    があるとか言ったら、ほんと数が限られますもんね。2、3軒あれば良いですもんね。

加藤: そうだね。誘われてルイードに1回出させてもらたり、eggmanとかも何回か出た時はやっぱり嬉し

    かったね。プロに1歩1歩近づいている気がしてね。人が見てるのかって思うと頑張ってやろうかなと

    か。そういうYAMAHAのコンテストも出て、いつも決勝には行けず落ちてたんだけど、そこまで来

    て演奏することが、来年は絶対優勝しようとかそういう事を思いながらいましたね。

 

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