目の前に現れたロック
古閑: 最初に観たのはシーナ&ロケッツですね。シナロケ熊本へも2~3か月に1回は来てましたから、毎回観に行ってまし た。鮎川さんが外国人のような顔立ちだったので、疑似外タレ体験みたいなものでした。あんな方は、熊本には居な かったですからね!
一同: (笑)
古閑: だから博多のシーンとイギリスのシーンの両方を聴いて育った高校生 でしたね。あと、東京ROCKERSも聴いてましたね。ただその辺は九州 では観れなかったのでレコードで聴いてましたね。フリクションの 「軋轢」を毎日のように聴いてましたね。ちょっとませガキだったん ですかね? 人が聴いてないものを聴いて喜ぶっていう。
田口: 古閑さんの同年代の方はどんな音楽を聴いていたんですか?
古閑: 洋楽とかはほとんど聴いてないでしょうね。でも当時フュージョンが 流行ってたんですよ。あとハードロック。僕もハードロック好きなん ですが、その頃にはもうパンク好きだったで、「ハードロック、 ファックユー!」じゃないけど「メタル、ファックユー!」みたいなことも言ってましたね。本当はメタルも好きなん ですけどね(笑)。なんかそんな入り組んだ感じで色んな音楽を聴いてましたね。その後に、ニューウェーブが出てき て、そこからはイギリスの音楽をずっと追っかけました。その後こんなシーンはある種、業界が造ったシーンであり、 パンク、ニューウェーブ、ニューロマンチックみたいに2~3年の周期で色々シーンが出てくるものだってわかったんで すよ。あと僕はサブカルって言われるものが大好きで、そこの流れで影響を受けたのは「宝島」って雑誌ですね。 田口: 「宝島」ってあのエッチな!?
古閑: そうそう。今もある「宝島」ですよ。昔は時代のロック中心でサブカルな雑誌で、東京のインディシーンを特集した り、ファッション誌でもあり、いわゆるとんがったキッズのバイブルだったんです。それから「DOLL」とか「FOOL'S MATE」も全部を読まないと「ヒップなとんがったキッズじゃない」って自分で思ってた時代ですね。
田口: 今とは違いますね。
古閑: そう。情報は与えられるんじゃなくて探すんですよ。探さないと、これ読まなきゃ、何も音楽語れないみたいな感じ。 ネットも何もないから情報源は本ですよ。月に1回出る雑誌を本当に楽しみにしていましたね。あとは、高校時代に 「TRA」ってカセットマガジンがありましたね。季刊誌みたいな感じで、カセットと雑誌とが一緒になってましたね。 それもバイブルでしたね。
田口: カセットが付録って厚みがありそうですね。
古閑: 穴が空いていてそこにスポってはまってる感じでしたよ。だからそういうのを楽しみにしていた青春時代でしたよ。高 校くらいまで。
田口: 小学校の時から高校まで様々な音楽を聴いていたのですね。
古閑: 核心にあるのはイギリスの音楽を追いかけるってことでしたね。それに付随して、その音楽に影響を受けた日本のバン ドも出てくるので、それも聴きました。一時期アナーキーにも狂ったし、THE STALINもそうだし、 センセーショナル なバンドが好きでしたね。普通の人が聴かないものを聴くのが自慢みたいなね。 シーナ&ロケッツ

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