プレイヤーに目覚める
田口: 人が知らないものを知っているってだけでカッコイイですもんね。聴くっていうことは、小学校の時から続けてきたと 思うのですが、実際自身がプレイヤーとして演奏してみようと思ったのはいつ頃ですか?
古閑: 中学校1~2年くらいからですね。ギターは親に買ってもらって(笑)。THE CLASHのジョー・ストラマーに憧れてテ レキャスターを買ってもらったんですよ。
田口: 最初はギターだったんですね。ベースのきっかけは?
﷯古閑: 大学の軽音部に入って、簡単そうなのがベースだと思って。弦が4本し かないからね(笑)。その後ベースの方が難しいって実体験でわかる んですけどね(笑)。その時最初に買ったベースはフェンダーのプレ シジョンベースですね。これもTHE CLASHのベーシスト、ポール・シ ムノンが使ってたからなんですけどね(笑)。あと、Sex Pistolsのシ ド・ヴィシャスも使ってたんで。形から入る男でした(笑)。
二位: 今の子ってちゃんと音の話をして、楽器の話もするけど、俺らの時に はそんなに音の話したことなかったよね~。格好とかチケット売って こいよとか、そんなことばかり。
古閑: そうそう。形の話しかしてなかったよね。「髪の毛を立てる!」とか、それだけでパンクになった気分になれたからね。
二位: ある意味「見た目からまず」みたいなのが、年末のKOGA COVER NIGHTに繋がったんじゃないですか?
古閑: そうね。当時パンクファッションは売ってるものじゃないから、自分たちで作るものだったし。
二位: 髪の毛の立て方とかも色々あるし。それが徐々に進化してね。砂糖水、ヤマト糊、ダイエースプレーとか。
古閑: そうそう。自分たちで工夫して、情報を仕入れて、どうやったら髪の色が抜けるとかね。オキシドールとかビールと か。そこから髪色はずっとこんな感じですよ。 田口: その頃から金や赤髪だったわけですね~。
古閑: でも、就職を1度しているので、サラリーマンの3年間くらいは黒でしたよ。東京出てくるきっかけが就職する為に、大 学(明治大学)に行くからで、バブルの時代だったので、面接受けたらどこでも就職先受かるみたいな状況の中、製薬 会社に入りました。
二位: 変な薬を手に入れようと思って(笑)?
古閑: 違う違う(笑)。製薬会社だと入社が簡単だったの。それで、最初の勤務地が大阪だったんですが、大学の時からずっ とバンドやってて、バンドをもうちょっとやりたいなって思ってたんですよ。何かあるごとにいつも思うんですが「人 生一度しかないから」って。「好きなことをやる」っていうのが僕の主義なんですよ。「好きこそものの上手なれ」が 僕の好きな言葉で、まさにこれがそうだったんです。ホントに好きなら何でもやれると思っていて。まぁ必ずしもそう ではないんですけど、本当はね。でも好きだったら、もうそれをやるしかないっていつも進んできたので、やっぱりバ ンドが演りたいと思って。 Venus Peterの始まり
古閑: ちょうどペニーアーケードっていうその筋では有名なギターバンドを解散したばかりの石田君に「このまま大阪にい ても面白くないので、仕事辞めてバンド演ろうと思うんだよね」って声をかけたんですよ。で、会社に「東京に転勤 か、辞めさせて下さい」って言ったんですよ。そしたら、東京に転勤させてもらえちゃって(笑)。
一同: 持ってるなぁ!(笑) 古閑: で、東京に移ったけど会社に勤めつつ、Venus Peterを組んだんですよ。
田口: それが何歳ですか?
古閑: 25歳くらいですね。このバンドが奇跡のバンドで、ヴォーカルを探してたんですが、噂でイギリス帰りのスゲーヤツが いるらしいと。それが沖野君だったんですよ。
田口: 沖野さんはイギリスで生活してたんですか?
古閑: アメリカ、イギリスに1年ずつ住んでたみたいですよ。それで、初めて練習したのが、下北屋根裏の上階のスタジオで す。僕はThe Smithsが好きで、それっぽいバンドがやりたかったんですが、沖野君は完全にリアルタイムのイギリス帰 り、本物のオマンチェ野郎(注: マンチェスター好き)だったんですね。The Haçienda(注:マンチェスターに あったCLUB)に通っていたらしいので。
田口: へー! 凄いですね。 古閑: まぁThe Smithsもマンチェスターなんですが、沖野君は「俺、The Smithsなんて好きじゃないんだよね。」みたいな意 見で「The Stone RosesとかHappy Mondaysとかがいいんだよね」みたいな感じでした。
田口: まだ、みんなが知らない頃のですか?
古閑: そうそう。ちょっとは伝わってきてるかなくらいの時期。
田口: 日本ではブレイクする前ですね?
古閑: そうそう。その時はまだ僕やギターの石田君が作る曲をやろうと思ってたんですが、沖野君の作った曲があまりに凄す ぎて「負けた!」って思いましたね。それから沖野君が主導になって、Venus Peterが動き出したって流れですね。ち なみに沖野君は日本にいた時に小山田君(コーネリアス)とビロードってバンドをやってたんですよ。
田口: Venus Peterの活動期間は、どれくらいでしたか?
古閑: 3年くらいですね。1回目のライブがVelvet Crushの前座だったんですよ。
田口: 凄いですね~。どういう経緯ですか?
古閑: 石田君の繋がりでしたね。僕もまだ全然ベース弾けてなかったんですが、バンドはすぐに話題になっちゃって。その1 回目のライブを観ていたのが与田さん(UKP/WONDER RELEASE RECORDS)で、「ぜひUKPでやりたい」と声かけて きてくれて。人気がでるのは本当に早かったですね。憧れの「宝島」にもすぐに掲載されたし。与田さんもイケイケな 人だったのでタッグを組んでやってましたね。その後ポリスターからメジャーデビューすることになるんですが。

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