インディーズからメジャーに移ったことで変わったこと
古閑: 変わったことは、基本は無いですね、好きなことしか演ってなかったんで。ただ、当時は英語で歌うのは叩かれる要因 だったんです。「なんで日本人が英語で歌うんだ!」的な。でも、僕らの中では当たり前だったし、それがカッコイ イって思ってたしね。そう思うことしかしたくなかったから平気でしたね。日本語で歌うのは、僕たちの中ではちょっ と古いロックだっていう感覚がありましたね。その後は日本語がいいともなるんですがね。ただ英語で歌うのが好き だったということですね。それで、1万枚売れたりインディーズチャート1位になったりしてたんで、それでいいものだ と思ってたら、メジャーではバッシングが酷かったんですよね…。
二位: 傍から見ていれば、自由気ままだと思ってたけど、プレッシャーって凄かったんだね。
古閑: そうですね。レーベルがフリッパーズギターと同じなので「彼らはなんであんなに褒められて、僕らはなんでいつも バッシングを受けるのかな?」なんで思ってました。フリッパーズギターは日本語で演ってたってことも含め、最終的 にはビナペも「フリッパーズギターのレールに乗って日本語に」みたいな話にされるんじゃないかなと思ってたんです が、そこに至るのは、メジャー第2弾のアルバムでしたね。それだけ上がり下がりが激しかったんですよね。 田口: それが解散のきっかけに繋がるんですか?
古閑: そうね~? これ言ったら「それは違うだろ! 」って言われるかもしれないんですが、ちょっと数字が落ちてたり、 人気も落ちてきたっぽくなって、大体そういう時って事務所もしくはレコード会社はボーカルだけ引っこ抜くんです よ。で、ソロにするんですよ。バンドだと人数が多い分それだけ維持費も大変だし。それで空中分解に近いような形で の解散でしたね。そういう経験があって悔しくてVenus Peterを演ってた時も、自分で「理想のレーベルを作りたい な」って思うようになってました。 長続きするレーベルのバイタリティと人脈
古閑: 僕はね、負をプラスにしたいっていう気持ちがすごく強くて、苛められると「絶対負けない」みたいになるんですよ。 逆に持ち上げられると「そんな、僕なんて…」みたいになっちゃいますけどね(笑)。
一同: (笑)。
古閑: 誰でも上昇のときもあれば奈落の底もあると思うけど、僕の人生はやたらこれの繰り返しですね。レーベルやっても、 最初はインディーズバブルもあって、出せば少なくともいつも3000枚は売れるとか、もうちょっと調子がよければ1万 を超えるとか、っていう時期でしたね。それに僕ものったんですよ。
田口: 何年くらいのときですか?
古閑: レーベル創って2~3年後くらいですね。1996年くらいかな? その時にいたのが、RON RON CLOUとかデキシー ド・ザ・エモンズ、The Playmatesいわゆる初期KOGA黄金期ですよね。
二位: 別に策略とか何もないんだけど、たまたまVenus Peterが解散して、沖野君がソロになって、Queができて初日が沖野 君のLIVEだったり、デキシーのアベちゃんがQueの店員だったり、その辺の人の繋がりの面白さがありましたね。
古閑: そうね~。音楽の流れの中に下北沢の人の歴史はありますね。 田口: 二位との出会いについて教えて下さい。
古閑: 九州出身だと大体仲良くなるんですよね。
二位: とにかく下北って九州人多いものね。
古閑: 原島さん(スマイリー原島)とかマグミさん(LÄ-PPISCH)とかね~。そういうところでは、九州、熊本出身で良かっ たなって思いますよ。それをフルに活用して、今まで生きてこれてるのかなって思いますね。
田口: マグミさんは先輩ですよね?
古閑: 中学校の2つ上ですね。
二位: それまでは原島さんと、古閑さんそんなに絡みなかったでしょ? しばらくして知り合ったら、古閑さんと原島さん同 じ熊本人だったみたいなね。原島さんが下北に来たら、新宿で演ってた人も下北へ来るようになって。
古閑: だからいい意味で、UKPとか僕らが音楽的な軌跡を創ったのが、そこら辺の年代なのかな。そうするとその後、新宿の 方々も入ってきたんですよね。
二位: そうかも。俺が下北に来た85年だと新宿に出てる人は下北には来なかったと思うよ。というより下北はライブするよう な街じゃなかった。呑んでる(住んでる)だけだったから(笑) 田口: KOGA RECORDSを立ち上げるにあたって、下北沢を選んだ理由をズバリ言うとなんですか?
古閑: 下北沢でよく遊んでたんですよね。下北沢って当時ニューウェーブな匂いがしたんですよね。未開の地っていうか。そ の割に服屋とかがちょいちょいあったりするっていうね。
二位: ほんと~? 古着屋も雑貨屋も多かったけど、俺にとってニューウェーブな感じはしなかったな~。ギトギト時代って いうか、日本中のまだまだハンパな若者が集まって四畳半、貧乏、流血みたいなのしか記憶にない(笑)。
古閑: あはは(笑)。知らんたい!(笑)

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