シーソーと消えない歌 (MV)

※篠塚将行(しの),菅澤智史(ガス),琢磨章悟(しょ),栗原則雄(ノリ),Que 後藤瞬(後藤)の表記で進行します。

 

後藤:まずは1stアルバムから。このアルバムは、結成してライブをしてから、追ってリリースされた音源でしょうか?

しの:確か、バンド組んでほぼ同時期だった気がする。まだまともにバンドやってない状況で。

後藤:ちなみに初ライブはいつでした?

しの:えーと…

ガス:2011年。

しの:そう、その後『デモ音源作ろう』みたいな感じになってて。

ノリ:『記念に』みたいな。

しの:そうだ『記念に』、だったよね。録る曲も決まってないのに、

   先にレコーディングの日程だけ押さえて。

後藤:音を録ってリリースするのかとか、売るのかというのは後で考

   えるとして、という事ですかね?

しの:売るも何も、あれ(1stフルアルバム)の原型って確か非売品

   だったよね? これの一個前に原型のデモアルバムがあって。

   確かCD-Rで会場限定っていうか非売品って感じで。

ガス:そう、6曲入りで。非売品のアルバムだったよね。もう売る気が無かったんだろうね。

しの:記念品だもんね。

後藤:それって、1stフルアルバムから6曲という事ですか?

しの:そう。あれの中の6曲。「シーソーと消えない歌」はまだなくて。

後藤:そうなんですね、じゃあテイクは全く同じ?

しの:そうそう、同じ。確かミックスが違う位かな。なんか『レコーディングしよう』って言うと、皆ちょっと身構える

   じゃない? 普段レコーディングなんかした事ないからさ。でも、そういう身構えるのとかって良くないと思って

   て。身構えるって要はダサいところを見せたくない、要はかっこつけたいってことでもあるじゃない? まあ、あ

   の時しょうごなんて楽器弾いてまだ一年経ってない、数か月とかの初心者だし、なおさら背伸びしちゃいそうで。

しょ:そう、何も分からない状態で。『レコーディングなんて出来るの?』みたいな。

しの:でも、レコーディングの日は決めちゃってるし。こんなもん『記念だ』と。普通、CD出すのって「CD出すなら記

   念になっちゃいけないよ」ってバンドマンとか偉い人がそれっぽく言うじゃない? だから、「いいか、これはた

   だの記念だ」って言ってね(笑)。

一同:笑

しの:それで、リリースツアーもやろうってなって。でも非売品だからライブしに行っても別に売らないし、CDはある

   けど会場で置いてないっていう。対バンした人とか、出会って直接話した人とか、俺らがあげたくなったら直接あ

   げるっていうだけ。

後藤:それじゃ、お客さんには売らなかったんですね。

しの:バンドとかお客さんっていう分け方あんまり好きじゃなくてさ。結局は同じ人間っていうか。そもそも、好きに

   なってもらえる人なんか居るわけないみたいなのが前提だから、あった人にあげるっていうかね。

しょ:そうそう。

しの:『ツアーは、旅行だ』と。それも「ツアーは旅行じゃない」っていうけど、俺らがやるのは『旅行』だと。「そう

   じゃない、CDを出すのは記念で、ツアーは旅行だから。遊びに行こう。」みたいな感覚。

ガス:そうだった(笑)。

しの:何をもって「やる気がある」っていうのか解らないけど、俗にいう「野心」みたいなものは、多分全員カケラも無

   かったと思う。そう意味では、ある観点からみたら物凄いやる気がなかったバンドだと思う。

しょ:とにかく『記念』でいいらしいから、『そうなのか』って雰囲気だった。

後藤:おもしろいですね。記念で作られた非売品の物が、こうして9曲入りの最初のアルバム、CDとして販売に至ったの

   はどういった経緯だったんですか?

しの:その時、マネージャーだった冬真が、当時ワイルドガンクレイジーっていうイベントやってて、それをHP上で

   『お金ないし、体壊したし、音楽業界もう辞めます』っていう発表をしたの。発表した最後のライブの2個前くら

   いのライブに誘ってくれたの、うちらを。当時、冬真ってイベンターとして凄く人気があったというか、バンドマ

   ンから好かれてて、バンドマンがすり寄ってる感じだったの。で俺はそういうバンドマン全員に対して『バンド

   やってるくせに媚びへつらいやがって』と思ってたから。冬真と出逢った時に、当時『俺はお前のイベントに絶対

   出ないから』と。『俺はお前のイベントに絶対出ないし、お前とはあと20回会わないと連絡先交換しない』と言い

   切ってたの。でも、俺も家出ないからそもそもそんなに会う訳もないし。

一同:笑

しの:でも、凄い冬真は俺の事を気にしてくれてて。最後自分がイベント辞めるって時に、誘ってくれたのね。なんも言

   わないで誘ってくれたんだけど、『絶対出ない』って言ってた俺の事誘う、それがどういう意味かはよく分かって

   たっていうか、冬真から見たら俺相当めんどくさい奴じゃん? 関わらないまま終わればいいのに、絶対気持ちが

   すっきりするのにわざわざ俺らを思って、連絡して、『一緒にやらねーか』って言ってくれて。それが嬉しかった

   のがまずあって。

後藤:その再会から、そこからリリースに繋がるんですね。

しの:そう。当時、冬真は東京カランコロンのリリースもしてて、メジャーデビュー決まって自分から離れて、その前

   ニゾンやってたのも知ってて。もともとリリースとかしてた人だったし、、冬真が音楽業界辞めるっていうイベン

   トで、久々に会って。その日に『俺、今みんなやる気が無い奴らとバンドやってるから、お前もう音楽業界辞めた

   いんでしょ? 辞めたいなら俺らとやろうよ』って誘ったの。で、『俺らのライブ今日良かったら俺らのCD出し

   てよ。』って。

後藤:なるほど。

しの:でも冬真は、借金苦でイベントを辞めるみたいな形だったから、俺が色んな所から借金して、無理やり50万円作っ

   て、それをそのまま冬真に渡して『これでCD出せ』って言って。『これはいくらか盗んでも良いよ。どうせ盗ま

   れると思ってるから。それでも良いから、このお金でうちらのCD出してよ。それなら出来るでしょ?』って言っ

   て、最初に出してくれたのがこのアルバム。変な話、冬真と一緒にやりたいから、非売品を販売したっていう感じ

   だったかも。

後藤:冬真さんがイベントを辞めるってなってなかったら、バンドでCDは出してないかもしれないって事ですか?

しの:そうかもね。少なくともこのアルバムは、曲が世に出る事は無かったんじゃないかな。一応非売品で出してたし。

   で、そのまま同じだったらもらってくれた人に悪いし、ていうので3曲増やした。

後藤:冬真さん以外にもリリースしてくれる所があったと思うんですけど、それでも冬真さんだったという事は、ある

   種、夢を諦めた人だからということでしょうか?

しの:そう。なんか、その時はやる気の無い人とやりたかったんだけど、今思えば、多分、悔しかったんだと思う。あん

   ま居ないけど、自分が良いなと思う音楽や気持ちのある人達に限って、辞めなきゃいけない状況が目の前にあっ

   て。ちょっとコミュニケーション能力の高いちゃらちゃらした奴がうまくいってるケースもあったりしてたから。

   もちろん、全員がそうだとは思わないけど、そういう事も、その時は一杯あったから。自分が「音楽やるかやらな

   いか」ってのも含めて、もう、怒ってたんだろうね。『なんで冬真が辞めなきゃいけねーんだよ』とか。PV作って

   くれた藤井監督も映画でいろいろあって鬱病になって2年消えてたし。『なんでこんなに、ただ一生懸命やってる

   奴が、こんな馬鹿にされなきゃいけねーんだ』って。誰一人拾ってくんねーんじゃんみたいな気持ちだったから、

   だからなんじゃないかな。

後藤:もう、黙ってればもう皆が社会的に死ぬ状況、閉鎖的な状況の中、いざ出したCDが、タワーレコード1位という、

   大変な反響になりましたよね。

しの:びっくりしたよ。冬真は泣いてたし。

後藤:当時、ライブ活動も並行していたと思いますが、当時はお客さんはライブハウスに来ていたのですか?

しの:全然。誰も知らなかったんじゃないかな?

後藤:ですよね。何故そういう状況にも関わらず、大きな反響があったんでしょうか?

しの:…なんでだろうね。

ガス:全然わからない、なんでだろう。

後藤:何か、理由があったとは思うんですけどね。

しの:でも、俺達この時、フライヤーとかすらまともに作ってなかったよね。

ガス:あ、でもPVはもう発売前にはあったよね。

しの:さっきも言った藤井っていう映画監督の友達が居て、そいつが2年くらい鬱病で飛んでて。1千万円くらいの映画を

   やる重圧で脚本書けなくって、飛ばしちゃったの、映画を。で、自分を責めて、うつ病になっちゃって、ずっと連

   絡取れなかった。でも俺だけが月に一回、一方的に「元気か、返事はいらない。元気でいろ」ってメールしてた

   の。で、そしたら急に連絡が来て。

後藤:今でこそ、それでも世界が続くならは「ライブバンド」だと知れましたが、当時は極めて、ネットだったり、特に

   目に見えない形へのアプローチが凄かったのかも知れませんね。HPやSNSでの文面も、およそバンドマンが言わ

   ないようなタブーな事を書いていたり。

しの:そういわれて読み解かれると、そうなのかも。だけど狙ってもないし、書きたい事を書いてたっていうね。言いた

   いこと言う為だけのバンドだし。

後藤:「いかにバンドがカッコよく見えるか」という事を考えるバンドが多い中、それせかは、いかにカッコ悪い姿を観

   てもらうか、という形だったのかも知れませんね。それが結果的に、口コミで広がって行ったというか。

しの:そうだろうね。ある意味で学校内的というか、メディアを介したものじゃなくて、あくまで人間と人間の関係って

   いうか。こうして思い返せば、いろいろ知って出来るようになった方が色々考えちゃうというか、考えちゃってる

   んだろうね。でも今も、そうしていいんだよね、きっと。俺も、きっと言いたい事を言ったら、好きでいてくれる

   誰かから順番に傷つくかもなって思い始めちゃってるから、今は。そうね、あんま気にしない方がいいんだろう

   な、きっと。

後藤:1stアルバムの収録曲で、印象的な曲はありますか?

しの:「僕がバンドを組んだ理由」っていう弾き語りの曲なんだけど、これ、レコーディング中に、菅澤が『あの前のラ

   イブでアドリブで歌ってたやつ凄い良かったんで、アルバムに入れません?』って言ってくれて。歌詞もメロ

   ディもないっていうか、完全なアドリブの曲で。あれ歌ってくれって言われたこと、それは凄い覚えてる。

ガス:そうだね、今でも、しのさん結構アドリブで歌うのを、組んだ時からずっとやってて。今だとちょっと俺らもアド

   リブで演奏したりもするけど、この時はしのさん思いついたら、いきなり歌いだすって事もあって、よく驚いて

   た。今でも驚くけど。(笑)

しの:あれ、菅澤に言われなかったら録音しなかったかな。でもあの時の俺の気持ちそのもので、レコードって記録って

   意味だけど、本当に記録に残して良かったなって思ってる曲。

ノリ:「痛みの国のアリス」は、しのくんの前身バンドのドイツオレンジの曲だもんね?

しの:そうね。「痛みの国のアリス」は、ちょっと、1stのレコーディング自体が、ドイツオレンジの追悼アルバムみた

   いな感覚も俺の中ではあったんだ。これで本当に前のバンドとお別れする為の儀式っていうか。いつでも聴けるか

   ら、もう歌わなくてもいい、みたいな。だから「痛みの国のアリス」とかはあんまり、もう、ライブでやらない

   ね。未だにやんない。なんかこの曲はね。

後藤:しょうご君は楽器を触る事自体が初めてだから、もう全てが初めてという事だらけだったと思います。沢山いるバ

   ンドの中でも、かなり異質なバンドのメンバーになったわけだけど、当時どうでしたか?

しょ:弾けなかったですね。

ガス:レコーディングの日にもう弾けなかったよね。(笑)

しの:とにかく、しょうごは弾けなかった。っていうか弾けるわけないよね、初心者だしね。

しょ:1stの「シーソーと消えない歌」とか「ヘイトミー ヘイトユー」とかは、今聴くとすごい事に。(笑)

後藤:でも弾けないんだけど、弾いたという事ですか?

しょ:そうですね(笑)。

しの:なんなら、ノリオも叩けない曲あったもんね?

ノリ:(頷く)

しょ:最初のレコーディングの時は、皆それぞれ苦戦してましたよね。

ノリ:なんかちょっとうろ覚えなんだけど、「参加賞」の最後の部分って、確かさ、アレンジが本来と違くなっちゃっ

   たんだけど、そのまま採用されたよね。

しの:そう。もっとね、長かったよね。ノリオが間違って終わらせたくらいの所が、「ああ、確かにこんぐらいで良いん

   だ」と。『ノリオ。お前は間違ってないよ。あれで良い。』って。(笑)

一同:笑

しの:しかも「参加賞」歌った日、その時俺、なぜかすごく体調悪くて、珍しく先に帰って。あまりにもおかしくて病院

   行ったらインフルエンザだった。この1stの「参加賞」はインフルエンザの状態で歌ってるんだよ。

しょ:そうだ! そうですよね(笑)。

しの:インフルエンザの人が歌うと、こうなる、っていう記録だね(笑)。

ガス:体調悪ければ悪い程、しのさんらしいと俺は思うけどね(笑)。

しの:それ言うよね、菅澤。なんか、菅澤は、体調悪い時の俺のライブの方が好きみたいで。

   『体調悪い時の方が良いですよ』て。

後藤:それはひどい(笑)。

しの:最悪だよね(笑)。このアルバムの「参加賞」は、ワンテイク歌って帰った。もう無理だと。でも、なんかこの頃

   から『もう、一回歌ったらいいですよね?』みたいな感じだった。あるじゃん? テイク選びとか。なんかもう、

   ちゃんとやるの「ちゃんと」の意味みたいのを、凄い考えちゃう時期で。ちゃんとしたテイクを選ぶ、ちゃんとし

   た、ちゃんとするって何? みたいな。「綺麗に歌えてるの選んだら、人の心に届いて一生誰かが聞いてくれて、

   誰かの心にずっと残るもんになるのかよ」って。でもさ、なんないじゃん、って。みたいな。じゃあ、そんなんで

   心を擦り減らしてもさ、一回心込めて歌えば、もう、ズレてても良くない? だって、これが本当の俺じゃん、っ

   てずっと思ってて。だからあんまりこの頃、この時のレコーディングって、バーって歌って『これでいいっす』っ

   て。まぁ…今もあんま変わんないけどさ。

後藤:このアルバムの時は特に、という事ですね。

しの:かもね。このアルバムのせいでそうなったとも言えるけど。とにかく演奏が出来なかった。皆で合わさってるから

   音楽に聞こえるけど、一人一人、しょうごとか俺とか、バラバラに聞いたら、大変な事になってると思う。

しょ:凄いと思います。

しの:滅茶苦茶だと思う。でも滅茶苦茶で良いとすら思ってるけどね。

 

 

【Que後藤による脚注】

 〇脚注1

 冬真:ワイルドガンクレイジー代表である遠藤冬真。それでも世界が続くならのマネージャーだった男であり、一時期

    メンバーの誰よりも目立った存在である。謎のカリスマ性を持つ。

 

〇脚注2

 ワイルドガンクレイジー:当時ブイブイ言わせていた名イベント。CDのリリース行っている。「魔法のiらんど」で作

             られたHPを参照下さい。(http://s.maho.jp/homepage/9cacccc1775a0fe1/)

 

〇脚注3

 東京カランコロン:5人組バンド。凄くカッコいい。

 

〇脚注4

 ユニゾン:ロックバンドUNISON SQUARE GARDENの愛称。とてもカッコいい。

 

〇脚注5

 借金:とても大変な事。

 

〇脚注6

 藤井監督:それでも世界が続くならのPVを作る映像作家。ライブでVJとして参加する事もある。

 

〇脚注7

 ドイツオレンジ:篠塚氏の過去組んでたバンド。数々の伝説を持つ、バンド名に意味の無いバンド。

 

〇脚注8

 インフルエンザ:辛い。